今朝は快晴、気温も高め。かなり寝坊して、少し遅い時間から散歩。
まだまだ桜は見頃。開花が早かったので、ここまで持たないと思っていたのだが、この週末もまだまだ花見はできそうだ。
八重桜の濃いピンクもいい感じだ。
ソメイヨシノはかなり葉桜っぽくはなっていて、木によってはかなり散ってしまったが、まだ華やかさを保っている木も多い。
天気がいいので花見酒・・・といきたいところだが、ちょっと宿題があって、今日の昼間は残念ながらお仕事モード。気がつけば夕方になっていた。
そう言えば、このところ、いわゆる対話型AIの話題が多い。様々な意見はあるが、文章は下手な人間よりも出来がいい。マスターレベルの論文を書かせても及第点というから、かなりのものである。一方で、何かの説明を求めると間違った内容を述べることも少なくないようで、そのことから「使えない」とのたまう人たちもいる。ただ、何度かやりとりしながら、完成度を高めていくこともできそうなので、そこは、人と同じ。学習次第では、相当な能力を発揮するのだろう。こうなると、SFめいた話しが現実のものとなってくる。まだ自律的な行動はできないにしろ、人による悪用をどう防ぐか・・といったあたりから始まって、仕事を奪われる・・・といった危惧や漠然とした不安感などが首をもたげる。ロボット3原則ではないが、なんらかのルール作りが必要になるかもしれない。人が法律やルールを決めて守るように、AIにも学習すべきルールがあるのだろう。米国辺りでは、そうした懸念から開発一時停止の署名活動が起きていたり、イタリアが個人情報保護を理由にChatGPTの使用を禁止したりといった動きも出てきた。気をつけたいのは、ルール整備の話しと漠然とした不安から来る感情論は区別しないと行けない点だ。いたずらに規制論が広がれば、せっかくの技術の発展に水を差す。一方で、ルール作りは急がないといけない。既に、アラン・チューリングが述べた「知能」のレベルは越えているAIに、市民権を与えるために必要なルールを決め、AI自身やそれを使う人間に守らせることが重要だろう。また、AIが悪用された場合に、それを発見し、対抗するための技術も必要になる。規制は一時しのぎに過ぎず、下手をすれば、善良なAIと開発者の足を止めている間に、悪党と悪のAIがはびこる・・・といった事態も招きかねない。ゆっくりと考えている時間はもはやないのである。
もしかしたら、いわゆる技術的特異点(シンギュラリティー)は2045年ではなく、もっと早く訪れるかもしれない。もしかしたら今年辺りがその元年・・・などと思えてくるこのごろである。
さておき、一仕事終わって、夕方の散歩。日中家にこもっていたので、歩数は3千歩台にとどまっていたから、頑張って歩数を稼ぐ。神之木公園の桜を見ながら山を越えて西寺尾方面まで足を伸ばす。空には半月を過ぎた月。
まだまだ夜桜も楽しめそうな感じだが、もう一雨来ると一気に散りそうだから、この週末辺りが最後のチャンスかもしれない。
さて、今日から4月。気分一新・・と行きたいところだが、あいかわらずなんとなく不穏な世の中。嘘でもいいので、明るい話題が欲しいところだ。
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