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72年目の「敗戦」記念日

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今日も朝から、いまひとつすっきりしない天気の小松周辺。とりあえず、今朝も散歩に出かけて、午前中に7Kmほどを歩く。

気温はまた一段下がって、厳しい暑さはなくなったが、それでもそこそこ湿気もあって、歩いていると、結構汗をかく。

夕方の散歩を入れて、今日もトータルで11Kmほど。まぁ、平地なので、自宅周辺の歩数とはいまひとつ比較にならないのだけれど。

今日は終戦記念日という名前の「敗戦」の日。今年で72年目というから、ずいぶん昔のことになったものだ。(もちろん、私は戦後生まれだから私の知らない時代なのだが)テレビでは、そういった番組が一日中放送されている。夜にNHKで放送されていたインパール作戦のドキュメンタリー番組は、まさにあの戦争が何だったかを象徴するような内容だったと思う。現場は早い時期から「勝てない」と悟っていたにもかかわらず、最前線から下がったところにいる司令官や大本営は、作戦遂行にこだわって引き際を誤ってしまう。恐ろしいなと思ったのは、参謀たちが、「勝ち」のコストを兵隊の死者数で見積もって、それを公然と口にしていたことだ。つまりは、兵隊は「捨て駒」だったということである。まぁ、戦争だから、指揮官にはある程度冷徹な判断は求められよう。だが、そこには心の痛みが伴ってしかるべきだ。その痛みを感じるからこそ、指揮官は適切な判断ができる。単に兵隊を「駒」扱いするのとはわけが違うのである。おそらく、そうした痛みをごまかすために、彼らはやたらと精神論を口にするようになったのだろう。そうなってしまった時点で、もはや彼らが言う「国のための死」は、どこかのテロリストが唱える「聖戦による死」となんら変わらなくなってしまう。そして、それを口にする連中は常に安全な場所にいるのである。

この日を迎えるたびに思うのは、そんな歴史的大失敗にこの国を導いた連中、暴走した軍部や、それを止めようともしなかった政治家の誰が、本当の意味で責任を取ったのだろうかという疑問である。東京裁判は戦勝国の論理による押しつけだったと言う連中がいるが、それなら日本の国民として、あの戦争を始め、さらには引き際も誤って、あわや一億総玉砕手前まで追い込んだ責任をどう問うのか。誰か、その責任を取ったのかと問いたいのである。ドイツは、戦後、ナチスの影を徹底的に排除し断罪した。振り返って我が国は、東京裁判に「甘えきって」責任追求をやめてしまったのだ。某首相を始め、靖国にこだわる政治家に最も問いたいのがこの話である。このことをうやむやにし続ける限り、犠牲者の大半は浮かばれないだろうと思うからだ。そして、そうした振り返りをできない、いや、しようとしない政治家に国を任せたくないと思うのである。

さて、明日は午前中に番猫を獣医さんにチェックと爪切りのために連れて行き、それから自宅に戻る予定である。

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このページは、風見鶏が2017年8月15日 21:49に書いた記事です。

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