クリスマスも過ぎたのに、このキーワードを思い出したのは、このところのフェイスブックのタイムラインの話題からだ。年配の男性の新聞への投書がネット上での炎上を誘ったという話。おそらく、この男性は譲り合いや思いやりのない、最近の混雑した列車の状況を嘆きたかったのだろう。だが、彼が車内で取った行動は、指定券を持たずに指定席車に行き、自分のペットのために席を(買って)確保していた人に席を譲らせようとしたり、自由席に戻って、今度は自分の幼い子供を隣に座らせている女性に子供を自分の膝の上に上げさせてそこに座る・・・というような行動である。そして、そのことを、驚くことに自身が投書の中で書いているのである。それを見て憤った人がネットに書き込んで、非難の嵐になったということのようだ。「老害」という容赦の無い言葉が飛び交うのはちょっと殺伐とするのだが、確かに客観的に見ればこの人の行動はちょっとおかしい。もし、彼が譲り合いの心や思いやりがないことを嘆いていたのだとしたら、誰あろう彼自身からその要素が欠落してしまっていることには気づいていないことになる。彼の行動が客観的にどう写るかということも、まったく考えていないように見える。これでは単なる年寄りのワガママだ。
ハダカの王様という物語を引き合いに出すまでもなく、自分が正しいと思い込んでしまい、自分が見えなくなってしまうことは、ある程度の地位を得たり、年配になった人たちが、まま陥る状況である。たとえ間違ったことをしていても、誰も忠告してくれない。それどころか、自分のいないところでは陰口をたたかれるし、疎まれもする。そういう自分のポジションを正しく認識できないから、誰も何も言わなければ自分は正しいのだろうと錯覚してしまうのである。そういう位置にいる人ほど、本来、自分自身に注意を払うべきなのだ。それこそ、自分が間違っていても、誰も正してはくれないのだから。
とりわけ、歳をとってくるとだんだん頭も固くなってくる。思い込みも激しくなってくる。一方で、自分の老いを意識し、若さに対する嫉妬も芽生えてくる。そうしたもろもろが高じて、周囲に対して攻撃的になったり、自分を過度に防衛したりするような行動を取るようになる。自分自身がその事に気づかなければ、どんどんそれは悪化する。これは、「クリスマスキャロル」の主人公、スクルージが陥った状況そのものだ。だから、私はこれをスクルージ・シンドロームと呼ぶのである。人ごとのように書いているのだが、気がつけば先日59回目の誕生日を通り越してもう還暦まで秒読み段階。ここまでに書いたようなことは、少なからず自分にも心当たりがある。私も罹患予備軍、いやもしかしたらそろそろ初期症状が出始めているのかもしれないと思うと、自戒もこめて、これを書かざるを得ないのである。
さて、この話はここまでにしておこう。今朝は寝坊したので、散歩は短めにすませ、今日もまた終日客先で作業。仕事はじめの一週間がとりあえず終わったのだが、細々とした事務作業やら、やりかけの作業やらがあるので、この週末はそれをぼちぼちとこなしていこうと思っている。体も少し動かしたいのだが、うまく生活にもメリハリをつけたいところである。
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