今朝、ちょっと前振りだけしておいたのだけど、この入院の一連の流れの中で感じたことを少し書いておこうと思う。
今回、セキュリティ屋をやっていてよかったなと思ったことが一つ。手術の手続きで行われるリスクの説明について、不安なくその趣旨を理解できたことだ。自分でもリスクの説明は難しいと思う。たとえば、情報セキュリティ事故は決してゼロにはできないのと同様に、医療での事故もゼロというわけにはいかない。もちろんこれはあらゆる事故について言える。そんな中でサービスを提供する側とされる側で、こうしたリスクの共通認識ができ、合意した内容に基づいた最善のサービスが提供されるという前提で、サービスを受ける側は、なお残るリスクを受容するか、もしくは保険等に転嫁する。このプロセスが、言うほどうまくいかないのは、本来、合理的なはずの手続きが、サービス提供側の責任逃れととらえられてしまうことも多いからだ。医療現場のように第三者的な意見をいれて、標準的なやりかたが決められている分野はまだしも、ITサービスの分野では、こうした議論はまだまだ未成熟である。また、4ポイントほどの文字で書かれた読む気すらおきないような膨大なサービス約款を渡しただけで説明責任を果たしたと考える風土や、逆に約款の有無にかかわらず、力関係で問題を片付けてしまおうとする風土など、まだまだ、ある意味野蛮な状態にあるのが日本のIT分野なのかもしれない。それは、何かあった際に、相手側が責任逃れをするだろう、という不信感を生む。それが、本来合理的であるリスクコミュニケーションというプロセスの循環不全を引き起こしているのだろう。
医療現場でも、おそらく長年そうしたことが起きてきたのだと思う。有名な「白い巨塔」はそうしたケースのお話しだ。しかし、ある意味欧米流の合理的なリスクと責任の考え方がようやく定着し始めているように思える。これはIT屋としては、うらやましい限りだ。
たとえば、今回の入院。手術に関するリスクは事前にひととおり説明を受けている。発生しうる事故などについては、患者にとってなかなか厳しい説明だ。私がちょっとへそ曲がりだったら、それがどのくらいの確率で起きるのか示せ、と言うところだが、案外医療現場では、そうしたデータが揃っていることを知っているので、あえて問わなかった。逆にちょっと調べればデータがある。むしろ、私が注目するのは、それを説明しているときの医師の姿だ。その相手がきちんとリスクをごまかさず、うやむやに説明しないかどうかを見ている。それで、その医師が信頼できるかどうかをはかっているわけだ。今回は「合格」である。従って、私は説明されたリスクを受容して入院、手術に臨んだわけだ。もちろん、それ以上に鼻のとおりがよくなることによる生活の改善がもたらすメリットが遙かに大きいと考えてのことである。
で、発生したのが昨日の事態である。もちろん、「出血」は、説明されたリスクに含まれている。不幸にしてその事態が発生してしまったわけだ。このリスクを受容している私が医師たちに求めるのは、この問題に適切に対処してくれることだけである。そして、それはきちんと行われたのだ。約束は果たされた。痛くて辛い思いと、入院期間の延長は私の持ち分だ。こう割り切れたのが、自分がセキュリティ屋でよかったと思う最大の理由である。
ITセキュリティ、いやサービスを含むIT分野全体で、こうしたリスクコミュニケーションの強化と、責任やリスクを合理的にシェアするという風土が根付くのはいつの日か。その日が早く来ることを願ってやまない。もちろん、それに一役買いたいことは言うまでもないが。
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