やりなおしてるみたいな今年の夏。そろそろ、暑くてもいいからすっきりした天気に戻って欲しいと思うのだけど。
今日は定期診察でお茶の水のいつもの病院まででかけた。予想外に早くすんだのであたりをちょっと散歩。
このあたりもすっかり緑が色濃くなってる。夏の雰囲気ではあるのだけど、天気がよければね。
神田川を渡って、御茶ノ水駅の対岸をぐるっと回ってみた。
で、本郷通り側からお茶の水方向に戻る。
ビルの隙間から見えるスカイツリーにちょっと雲がかかってる。
そういえば、うつになってからこの病院に通い出して2年半、まぁ、最近の状態は悪くないのだけど、とりあえず多少なりともストレスを感じる生活をしながらの治療だから、気長に薬は飲み続けている。これは、ある意味で自分とどうつきあっていくかという問題なのだし。
そんなことを考えながら少し歩いてから、帰ってきた。道もすいていたので、車だとやっぱり便利。
帰ってきて、近所の薬局で薬を買い、昼飯を食って戻ってちょうど12時前。タイマーでUPSの電源が切れる時間。今日はHDDプレイヤーとか扇風機の負荷がかかって少しいつもより電力を食っていたはずなのだけど、4時間は余裕でバッテリー駆動できた。昼過ぎからすこし日差しが出てきてソーラーパネル充電も多少は働いたし。このぶんだと、あと1時間ぐらいは時間をのばしても大丈夫じゃないかな。明日は30分時間を延ばしてみよう。
そういえば、先週思ったことを少し。私は自分ではかなり器用な部類の人間だと思っているし、常にそうありたいと思っている。(手先の話ではないので・・・その意味では結構不器用だったり・・)そもそも、なんにでも興味津々、片っ端から手を出すというのが子供のころからの自分なので、自然といろんなことを覚えたりしてしまう。そんな私を見て、死んだ親父がよく、そんなになんでもやってると「器用貧乏」になるぞと言っていたのを思い出す。この意味が私にはわからなかったのだが、最近になって本当の意味がわかってきたような気がする。器用であることは決して悪いことではない。いやむしろ、誇るべきことである。問題はそれを活かしきれない、というよりマイナスに働かせてしまうような生き方にあるのだというのが今の私の結論だ。つまり、器用な人は、まず自分が器用なのだということを認識すべきだ。そして、それがプラスになるような生き方、仕事の仕方や選び方をすべきなのだ。「器用貧乏」というのは、本当は器用な人が不器用な生き方をしてしうまうことなんだろうと思う。もし、自分が器用貧乏だと思っている人がいたら、自分の生き方や仕事のしかたを見直してみるといいだろう。
なんにでも興味を持つこと、そしてそれに素直に手を出すことは、自分を広げるためのすばらしい性質なのだということを忘れずにいたいし、それを自分の人生に活かしたいと思っている。
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