先週も耳鼻科で花粉症の薬をもらうために来たのだけど、あたりの桜はこの一週間で一気に開いて、既に散り始めている。神田川には桜の花びらが大量に浮いている。
湯島聖堂あたりのこの桜も先週よりはずいぶん開いた。一気に春が進んだ感じがする。
このまま行くと秋葉原の危険ゾーン。今日は、手前で折り返した。(笑)さすがに、このところ浪費癖が出てしまっているので、ちょっと自重しないといけない。連休前にはまたちょっと遠出する予定なので。
先週は7分咲きくらいだったこの桜ももう満開。天気がよかったらもっと綺麗なのにね。
ふと見ると船から網で桜の花びらをすくっている。河川管理事務所あたりだろうか。ちょっと無粋な気もしないではないが、これもお仕事なのでしかたない。
ひとまわりしてまたこの橋まで戻ってきた。御茶ノ水駅の中央線快速電車とむこうには地下鉄丸ノ内線の橋を電車が渡っている、ちょっと、「鉄」な写真。
診察結果はといえば、予想的中。かなり数値は悪化している。特に喰い過ぎは中性脂肪と血糖値指標であるHbA1cに反映されて、主治医からちょっとお小言をいただいた。地震からこのかた、ちょっと気分的に不安定な感じで飲み食いに走ってしまったのがモロに出てしまった感じだ。ストレスからか食欲と物欲がかなり強まっているので注意しよう。
で、家に戻ってきて、これはご近所の桜。こちらも満開で、風にあおられてちょっと桜吹雪になっている。
明日は天気が回復するようなので、近所の桜を見てまわろうかと思っている。今週末あたりが最後の見ごろだろうから。
さて、昨日、一昨日と原子力や核関連の話を書いたのだが、締めくくりに私自身が考えていることを書こうと思う。
原子力は、人類が始めて手にした非化学的エネルギーである。それは、桁違いに大きなエネルギーであり、これまで化学エネルギーを利用する手段であった熱エネルギーだけではなく、放射線という形でも多くのエネルギーを放出する。しかし、今のところ人類が利用できているのは熱だけであり、放射線は副産物として捨てられ、時として害をなす。つまり、人類はまだこの原子力というエネルギーを十分にコントロールできていないのだ。また、争いは人類の常であり、エネルギーは争いに使われるのもまた歴史が証明している。大きなエネルギーを持つほど、人類の争いは破滅的になってくる。化学的なエネルギーですら、人間の弱い体を壊すには十分すぎるのだが、原子力となれば桁違いだ。故に、こうした力を人類は持つべきではないという議論が起きる。
これについて私は議論するつもりはないが、私自身は産業革命以前の生活には戻りたくない。人類がより発展していくために大きなエネルギーは不可欠だ。問題はそれをきちんと使いこなす力を身につけることだと思う。今の原子力利用は、おそらく未来の人たちから見れば、非効率かつ危険極まりないものに見えるだろう。せっかくのエネルギーの大半を捨ててしまい、なおかつ有害な副産物をもてあましてしまっているからだ。おそらく、現在の原子力は核エネルギー、いや、むしろ質量のエネルギー変換といったほうがいいかもしれないが、それを使うという意味では過渡的な技術だと私は思っている。このエネルギーを本格的に手にすれば、人類は地球をも吹き飛ばすほどの巨大なエネルギーを得ることも可能になる。CO2による地球温暖化どころか、発生したエネルギーそのものによる温暖化や環境変化が問題になるだろう。もちろん戦争に使えばより破滅的になる。そして、それらをどうにかする技術も不可欠になる。SFの世界を実現するためには、単にエネルギー源を得るだけではなく、それを使いこなす技術を十分に発展させることが必要なのだと思う。
卵か鶏か、結果的にそういう議論が生まれてしまうのだが、私はどちらでもいい。科学技術の発展は過去にも不幸な事態を何度も招いてきた。もちろんそんな事態は起こしたくない。ただ、起きてしまったら、それを起こさないような方法をすぐに考え実行していくことが必要だ。現在、航空機がある意味、もっとも進んでいるように思うのだが、事故のたびに徹底的に原因が調査され、ただちに再発を防ぐための対策が施されている。もしかしたら誤解を受ける表現になってしまうかもしれないが、飛行機事故があったからといって、もう飛行機を飛ばすなという議論にはならない。事故ゼロは理想だが、現実にはどんな技術をもってしてもありえない。ただ、同じ原因の事故を防ぐことはできる。そうして、事故は少なくなっていく。つまり、新しい技術を使いこなしていけるのである。原子力についていえば、とりわけ日本は悲惨な過去の経験から、ともすれば遠ざけようとする風潮が強いように思う。しかし、日本のエネルギー事情から言えば、いまや原子力なしでは、生活も経済も維持できないくらいになっている。いまの状況がその証明である。私は今の形の原子力利用は、やがて別の形に置き換わっていくだろうと思うが、そのすべてが再生可能なエネルギーでまかなえるとは決して思わない。必要とされるエネルギーの総量が伸び続けていくからだ。なので、原子力も遠ざけるのではなく、すべてをきちんと明らかにして、議論をすべきだと思う。今回の事故から得られる経験は、もちろん多くの犠牲を伴ってのことだが、大きなものだとおもう。これを無駄にはしないでほしいと思う。それによって、原子力という「必要悪」の「悪性度」を少しでも減らすことができるだろう。ただ、一方で、今の人類は化学エネルギーですら、発生したエネルギーの大部分を熱として捨ててしまっている。つまり、効率が非常に悪いエネルギーの使い方をしている。これをまずなんとかしないといけないのだろうと思う。これは非常に難しい問題だが、解決が必要だ。利用効率を最大限まで上げ、さらに、多くのエネルギーを安全に生活や人類の発展に役立てていけば、やがて、昔夢見た未来の姿が訪れるのだろう。
原子力災害はある意味で人災だ。ただ、今回は地震という自然災害が引き金になった。地震は、少なくとも現在想定可能な技術では防ぐことも、いや予知することすらできない。今回は直接的な地震の被害も甚大だ。SFに描かれた未来世界では地震すら防止できる。でも、そこに至るまでに、人類はまだ多くの災害を経験することなるだろう。被災された方々には心からお見舞いを申し上げたいのだが、国として、いや世界全体として、この災害の経験を次の防災に役立てていくことが、被災地の方々の苦労に報いることになるのだろうと思う。
さて、ちょっと書き疲れたので、この一連の話はこれで終わりにしよう。原発事故が一刻も早く収束するように、また地震の被災地のすべてに十分な支援が行き届き、一日も早く復興にとりかかれるように祈りつつ。
コメントする