このブログは「風見鶏」が、日々気づいたこと、思ったこと、したことを気ままに綴る日記です。2008年9月に旧ブログから引っ越しました。バックアップをご覧ください。

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巣ごもりな一日

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天気もいまいちぱっとしないし、今日はほとんど一日自宅で過ごした。なので、今日は写真なし。

朝から、ちょっと1月25日のNSF2011(JNSAイベント)の発表資料を作ったり昼寝したり。テレビを見たり。NSF2011では、リスク評価検討WGの発表で、統計的なリスク定量化の取り組みについて紹介する予定。まだ今年度はお勉強フェーズで、成果らしいものはないのだけれど、被害調査WGが過去に集めた情報漏洩インシデントの情報や、今年から始めたインシデント発生確率調査のデータなどをもとにして、これを統計手法を使って解析したり、解釈や仮説を検証したりすることで、今後、このような統計解析手法を、リスクの定量化に応用していこうというものだ。今年度は、あれこれ算数を振り回してみて、来年度から具体的なモデル作りに入っていく予定。興味があれば、ぜひ参加していただきたい。

統計、といえば先日書いたマンション建設ラッシュの話。Twitterにも今朝書いたのだけど、国土交通省の統計ページにおもしろい(いや、あまりおもしろくない)内容があった。

http://www.mlit.go.jp/common/000117156.pdf

http://www.mlit.go.jp/common/000037538.pdf

この2つの統計資料は、ちょっと年度がずれているものの、あまり話題にならない実態をいくつか物語っている。分譲住宅購入者の購入時の自己資金平均額は購入費用の30%程度。購入総費用は4000万円程度。但し、購入時の年齢層は30歳代が最も多く平均年収は400万~600万の層が最大、ついで600万~800万の層が続く。これを考えると総購入費用は平均より下に、自己資金比率も平均よりは下に分布している可能性もある。平均の返済期間は約30年、これは35年の長期ローン制度で買う若者も多いことを物語っているのだろう。平均の年間返済額は120~130万円程度、年収に対する比率は平均で20%以上だ。もっと驚くのは、住宅ローンの貸し出し残高が、平成19年末で120兆円あったということだ。(桁を間違えていないかと何度も見直したがたしかに120兆だった。ちなみに、金融庁の住宅ローン事業者の統計では一桁低い数字になっている。たぶん、これはローン事業者ではなく不動産業者などが、事業資金として借り入れたものが住宅販売にまわっているのではないかと思うのだが、どうだろうか。この差は気になるところだ。)年間の貸し出し総額はしばらく減少していたが、昨年はまた上昇に転じているので、残高も大きくはかわらないだろう。

これで気になることはふたつだ。ひとつは、これだけの金額を日本経済が先喰いしてしまっているということ。120兆円の金が実は債権というヒモがついた状態で世の中にまわっているということだ。いわば経済は自転車操業をしているに等しい。もうひとつは、住宅ローン返済によって可処分所得は年収比で20%も減ってしまっているということ。当然そのぶん消費が減るか、もしくは借金が増えて、経済的には自転車操業状態を悪化させるかのどちらかだろう。この20年ほどの間、このいずれかを繰り返して来たように思えるのだ。だから、経済は低迷を続けているのではないか。

住宅ローンは最大の借金だが、電車の中吊りなどを見ると、ローンの広告がやたらと目立つ。かつてのサラ金が今は銀行の皮をかぶって闊歩している。銀行の条件がゆるいローンの広告を見ると、必ず系列のサラ金業者が保証する形になっているから、実態はサラ金と、なにも変わらない。こんなことをして借金をあおり、いくら一時的に消費を増やしても、結局は将来の原資を先食いしているに過ぎないのだから長続きはしない。こいつらはいつまで、経済右肩上がり成長時代の夢を見続けているのだろうか。また少し景気が落ち込めば、不良債権の山が出来るのは眼に見えているのに。

なんとなく暗くなる話である。鎖国していた独裁政権の江戸時代とかなら「徳政令」で全部棒引きリセット、とかできるのだけどね。今の時代では無理だ。庶民からカネを搾り取れなくなったら今度は国に借金させて、それをばらまいて・・・なんと強欲な話だろうか。そんな強欲さに手を貸してきたのが日本の政治だとしたら、この国の将来は、どこかの経済学者が言うように崖っぷちにあるのかもしれない。

【追記】

こうなってしまった原因をつらつらと考えてみた。この20年近くの間、低金利政策とそれでも回復しないデフレに対して、量的緩和という、いわば劇薬が投入されてきた。これは、デフレの原因が市中に出回る資金の不足によるものであるという考え方からだ。極論すれば、ふんだんにカネを供給することで実質的な貨幣価値を下げ、インフレを誘導しようというに等しいと私は考える。

普通に資金の流れを考えれば、日銀は銀行に対し公定金利で資金を貸し付け、銀行は、それを主に企業などの事業資金として、より高い利子で貸し付ける。企業は借り入れた資金で事業を拡大し、その資金調達コストである金利負担を大きく上回る利益、つまり経済的な付加価値を生み出す。企業の利益は、給与や賞与として従業員に還元され、また株主には配当として還元される。その金が市中にまわり、消費が活性化さると同時に、再度それが投資のための資金として循環するわけだ。

景気が過熱すると、日銀は公定金利を上げることで、資金供給を抑制する。流通する資金量が減れば、相対的に貨幣価値が上がり、インフレが抑制される。逆にデフレが発生すると、日銀は金利を下げることで資金供給量を増やし、デフレを抑制する。

しかし、恐慌と呼んでもいいこの不況下では、もはや金利ゼロにしてもデフレは収まらない。金利をマイナスにはできないから、今度は銀行などが日銀から借りられるカネの総枠を増やすしかなくなる。つまり、極論すれば銀行に過大な与信を与えるようなものだ。これがいわゆる「量的緩和」の本質ではないかと思う。

しかし、今回の不況は、経済の極端な加熱、つまりバブルに端を発している。サブプライム問題も、本来、返済能力が低い所得層に大金を貸し与えて住宅を買わせるという、日本の不動産バブルと同じ構造が崩壊したものだ。つまり、経済は水ぶくれをはじけさせて、本来あるべき位置に戻ろうとしているのだ。これは、一時的な景気の低下とはメカニズムが根本的に違うと思う。つまり、ここで発生しているデフレは、経済が正常な状態に戻るための過程で発生するものだ。バブル下で発生したインフレもまた、通常のインフレとはメカニズムが異なる。

物価の上昇は消費の活性化によって発生する。消費の活性化は、消費者ならば可処分所得の向上、つまり給与などの収入の向上や事業者ならば事業収入の増加と事業拡大に伴う投資などによって発生するのが自然だ。つまり、カネの価値が下がったのではなく、モノの供給が足りないという市場原理によるものだ。

しかし、インフレと呼ばれるものは、この物価が経済の拡大規模以上に上昇してしまうことである。つまり貨幣価値が相対的に下がるということだ。だから、貨幣の流通量を抑制することによる貨幣価値に対する操作が有効になる。バブル下での消費加熱は、当然ながらインフレを引き起こす。しかも、不動産価格に見られるような極端なインフレである。問題は、価格が大きく上昇したのが、いわゆる投機的な取引の対象になるものだったことだ。投機対象の代表格である株のみならず本来、流動性の低いはずの不動産までもが投機の対象になってしまったことが最大の原因だったのだろう。

皆、争ってこうした投機商品を購入した。結果として資金がたりなくなったが、値上がりの激しい土地などを売買した利益は金利を大きく上回るから、皆、借金してでも土地を買った。この借金は、元をたどれば日銀から市中の銀行を経由して流れたものである。実は、バブルに伴って、本来流通すべき以上の資金が市中にあふれていたわけだ。おまけに、市中に流れている現金の多くは借金によるものだ。これらのカネには債権というヒモがついている。本当のカネの持ち主は債権者であり、市中に出回っているカネはみせかけのカネである。悪いことに、この「債権」までもが市場取引されて、これまたバブルにさらされてしまう。結果として経済は二重に水ぶくれしてしまったわけだ。

バブルの崩壊で何が起きたか。消費の過熱が終わった瞬間、本来の価値をはるかに上回る値段がついていた土地や投機的な商品の価格が一気に暴落した。結果として借金だけが残る。しかし、借金して得た金は、既に市中にまわってしまっていて、債務者の手元にはない。あるのは価値が大きく下がった資産だけである。かくして、債務者は債務を果たせず、債権は不良債権となる。倒産、破産の増加と金融機関の経営悪化はこれが原因だ。しかし、現金はまだ生きている。市中にはバブル時に出回ったカネがまだ残っているのである。理屈から言えば、必要以上のカネがあるはずなのだから、相対的に貨幣価値が下がるはずだが、それ以上に、物価の下落が大きくなっていた。それもそのはず、本来の価値を遙かに超えた値がついていたわけだ。それが正常に戻る過程を「デフレ」と捉えてしまったことが、最初の間違いだと思う。むしろ、こうした極端な経済の変化が国民や企業の不安をあおり、消費や投資を冷え込ませたことが最も大きな問題だ。ここで、金利を下げても、既に十分な資金が世の中には供給されているわけだから、デフレ抑制効果はない。むしろ、必要だったのは、将来に対する不安感を払拭し、バブル崩壊の影響が少なかった企業や消費者が、投資や消費を再開できるようにする政策だったのだと思う。バブル崩壊の影響を食らって身動きが取れなくなっている企業や特に金融機関などへの救済策は重要だが、結果的に、そこに公的資金を供給することで、さらに市場での資金流通量を増やしてしまった。しかし、その資金は市中に流通せず、どこかに滞留している。そのどこかとは、金融機関と、バブル崩壊の影響をまぬかれた企業や個人である。これがもう一つの重要なポイントだ。

そもそもカネが流れるパイプが詰まってしまっているのである。あちこちに大きな池が出来て、水がそこにたまってしまっているようなものだ。別の言い方をすれば、カネを持っていて、しかも使える状態にある企業や個人は、いまのところそれ以上のカネを必要としない。ただ、この経済状況下でいますぐ大きな投資に打って出ることも難しい。一方で、不景気にさらされている企業は、カネもないし、市場が縮小してしまっているから投資もできない。ましてや、そういう企業に勤める個人はなおさらだ。余裕があるはずの企業ですら、不景気面をしてしまうのは、それが強欲からなのか、それとも経済状況が不透明で慎重になってしまっているのか、まぁ、横並びでここぞとばかり支出を抑えにかかる。それが、さらに市場を冷え込ませるわけだ。

こんな状況下で金融機関が資金を得たとしても、貸す先がない。少なくとも銀行がリスクをとらなくてすむ優良企業は既に潤沢に資金を持っている。となれば、少し危ない企業や個人にでも貸し付けるしかない。だが、バブルで懲りている銀行経営陣はそんなリスクをとりたくない。そこで目をつけたのがサラ金だ。もともと、サラ金は銀行のお得意様である。ただ、「サラ金」には悪いイメージがつきまとうから、銀行は直接手を出せない。そこで、お化粧直しをして、自分の系列に加え、さらに、銀行のブランドを使わせ、挙げ句の果てには、銀行自身のローンに債務保証をさせるというような作戦に出た。要するに、そんな姑息な手を使ってでも、銀行はダブついている資金を貸さなければいけない状態だと言うことなのだろう。

結果として、狙われたのが住宅ローンだ。国の優遇政策がそれを後押しした。銀行の資金は様々な経路で住宅購入のために使われていく。住宅だけではなく、車などの高額な商品や教育ローンまで。結果として、水面下ではまた債務と債権がふくらんでいき、経済をさらに不安定なものにする。

つまり、日銀の金融緩和策はデフレ克服どころか、経済をより不安定化させる要因になってしまっているのではないかと私は思うのだ。今の経済状況は日銀では解決は不可能だ。むしろ、政治が国民や企業に、経済の先行きに対して安心感を与えることが最も必要なのだと思う。これによって詰まったパイプを通し、カネが流れるようにすることだ。このまま無理に資金を供給し続ければ、ちょっと景気が落ち込めば、また不良債権と倒産、破産の山を抱えることになるだろうし、一方で景気がよくなると必要以上の資金が流通することで、またバブル化する危険もある。いずれにせよ、危険きわまりない状態だと思う。

私は経済に関しては素人だが、このストーリーはなんとなく理屈だけは通っているように思う。これが現実に起きていないことを切に祈りたい。

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このページは、風見鶏が2011年1月15日 21:56に書いた記事です。

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