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ガバナンスのスピード感

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JSOX以来、「(コーポレート)ガバナンス」という言葉が、半ば念仏のように唱えられているのだが、はたして、これはビジネスによい影響を与えているのだろうか、そうふと思って考えてみた。

そもそも、ガバナンス強化とは、ビジネス上のリスクマネジメントをきちんとやろうということなのだと私は理解している。ビジネス上のリスクには様々なものがあるが、それらのマネジメントをきちんと行うためには、リスクの把握と適切な対策、そしてそのモニタリングが不可欠である・・・とここいらあたりまでは、既に言い尽くされた事柄だ。JSOXでみんなが苦しめられた業務フローとRCMの整備はそのひとつの手段に過ぎないし、リスクポイントを洗って、そこにいわゆる「統制」という余計なステップを入れればいい・・・といった単純な話ではなく、そもそも、その仕事の流れを見直すことで、より合理的にリスクを減らすことが重要だ・・・・などということも、たしかJSOXの前後でよく聞いたような気がする。

しかし、実際のところはどうなっているのだろう。仕事上のルールが厳格化して、重要な業務における様々なリスクが減ったあたりまではいいとして、それがビジネスの、さらにはその先にある本来の目的とされた投資家の利益の保護に役立っているのだろうか。

たとえば、統制のステップを加えたことで、仕事の手順が増える分、それぞれの仕事をスピードアップしなければ、元々の仕事のスピードは維持できない。たとえば、営業部門が独自の判断でできていたことを、間接的な管理部門によるチェックが必要であるとしたとたんに、当然その間接部門の業務は激増するから、適切な手当をしなければ、そこがボトルネックになりかねない。ましてや、お役所仕事に慣れた大企業の間接部門あたりでは、ビジネス環境の変化などどこ吹く風のマイペースで仕事が行われることも多いから、結果的にビジネスのスピード感は大きく損なわれることになる。

これは、おそらく現場のマインドを大きく変えてしまうだろう。当然、杓子定規なガバナンスに対する反感も醸成され、本来あるべきマインドとは違った、きわめて危険なマインドが生まれる可能性もある。なんとかして、網の目をくぐって自分たちのスピード感で仕事をしようという動きだ。なぜなら、営業部門に課せられる目標は高くなることはあっても、低くなることはありえないのだから。逆に、あきらめが支配的になり、仕事のスピード感低下に疑問を持たない社員を大量に生み出してしまうかもしれない。どうせ自分たちのせいじゃないから、渡したボールが返ってくるまでは何もしないでおこう、つまりは、みんなでサボれば怖くない・・・的なマインドである。いずれにせよ、これはビジネスにとっては大きな「リスク」だ。つまりは、リスク対策が新たなリスクを生み出してしまうことになるのである。まさに本末転倒というほかはない。

決められた手順をショートカットすることがリスクを高めることは言うまでもない。しかし、その手順を適切なスピード感でこなすことができなければ、やはり仕事の遅延とビジネスチャンスの逸失という、もっと大きな「リスク」となる可能性もあることを忘れてはならない。(これらの事柄は、ビジネスリスクマネジメントの一部である、情報セキュリティマネジメントにも当然ながらあてはまるのだが・・・)不景気による落ち込みのせいで、今のところこうした非効率な部分は目立たないのかもしれないが、やがて、これは企業にとって強烈なボディーブローとなるに違いない。

内部監査は、多くの場合、ルールに沿った仕事が行われているかどうかということに主眼を置くのだが、是非、仕事の効率やスピード感(への「意識」)についても、十分チェックしてほしいものだと思う。手数を増やせば当然スピードは落ちるのだから、リソースを増やすか仕事の効率を上げる手だてが必要だ。そこに意識が行き届いているかどうかが、この数年先におけるビジネスの勝敗を大きくわけるに違いない。

それから・・・と一風呂浴びながら考えたことをちょっと追加するなら、JSOXの際にシステム化された統制(アプリケーション統制)ということがよく言われた。人的な統制よりも信頼性が高く、統制やその運用評価のステップも簡素化できることから、そのようなシステム化が多く行われたのだが、実際、それが効率化になっているのだろうか。これも検証が必要だ。

たとえば、私は、緊急の案件で、午後6時に起案書を仕上げ、上司共々、紙を持って説明にまわり、翌早朝に社長決裁までとりつけたことがある。もちろん、これは紙ベースの話だ。もらったハンコの数は10個近い。はたして、電子化されたワークフローシステムでこのスピード感を実現できるのだろうかと考えると、はなはだ疑問だ。問題は、「似非自動化」にあると私は思う。もともと人が介在しなければいけない業務をシステム化しても、決裁という行為はあくまで人の行為であって、決して自動化はされない、ということだ。紙ならば、直接持参することもできるし、机の上の書類入れに入っていればすぐわかる。一方で、システム化は、若い人たちにとってはとっつきやすいものだが、私のような年代から上の人たちにとっては、いまだに紙ベースの作業や顔をつきあわせての話しのほうがなじみ深い。(私はそういう意味ではかなり同年代では特異な存在だと思う)そこにいきなりシステムを持ち込んでも、必ずしも効率化にはならない。システムは人の間違いを防ぐという意味での効率化は提供するが、一方で人の行為自体を効率化するわけではない。むしろ、ワークフローに添付された書類では内容がわからず、結局、時間がたって決裁がなかなか降りないので問い合わせて見たら、ちょっときて説明してくれ・・・というようなことが多くなる可能性もある。ましてや、こんなシステムがトラブったら目もあてられない。重要な仕事が全部止まってしまう。まさに、これはBCP問題だ。いや、ディザスターといっても過言ではない。

これも、人的な統制同様に、仕事の流れを十分に最適化せずに、統制のみを目的にシステム導入を行った結果であるように思う。こうしたことが、あちこちで起きていて、実は床下で日本経済を揺さぶっていたりしないことを切に祈りたい。

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このページは、風見鶏が2010年3月24日 20:01に書いた記事です。

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