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雲をつかむ話(1章-11終)

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SOAなんか使えない、そんな声も聞く。ある意味でそれは正しい。なぜなら、SOA化を成功させる要素がいくつか欠落しているからだ。SOAそのものの目的と自分たちの目標とするものが一致しているのかという根本論からはじまって、(必要最小限の)BPRの欠落、機能仕訳の甘さ・・・などなど。しかし、最も大きいのは、優良なサービス、つまりサーバサイドの部品の選択肢が少ないことだ。SOAの真価はサーバサイドの汎用化、部品化によるコストと工期の削減にある。しかも、たとえばより処理性能のいいサービスと入れ替えたとしても、フロントであるユーザインターフェイスへの影響は少ないし、ユーザにとっての使い勝手は変える必要がない。しかし、サービス、つまり、サーバ側の部品の選択肢が、少数のパッケージベンダが提供する独自仕様のサービスのみであったとしたら、苦労をしてSOA化する意味も薄れてしまう。こればかりはユーザがいくら頑張っても、解決は難しい。

SOAに至るシステムアーキテクチャの流れは、小さな湖でせき止められてしまうかに見えた。しかし、やがて、この流れも、あふれて大きな海に流れ込む。インターネットという大海にだ。そこで、他の水と混ざり合い、新たな命をはぐくむことになる。

こうして、インターネットという海は、すべてのITの流れを受け止めて、大海となり、水はまた空に戻って雲となる。この雲の中には、すべての川の流れによって持ち込まれた水が混在している。いや、存在していなければならないのだと私は思う。次の章では、雲の成分について、少し詳しく考えてみよう。

(1章終り)

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このページは、風見鶏が2009年11月30日 07:52に書いた記事です。

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