会社で異動があって半月あまり。新部署では既にかなりエンジン回転が上がってる。うちの会社も例にもれず、「クラウド」の大合唱がはじまっていて、その矢面に立たされつついあるのだけど、ある意味、とらえどころがない「クラウド」。少なくとも日本ではマーケティングタームとして営業道具に使われているのが実情、でも、「クラウド」を称して売っているものは、単なる要素技術に過ぎなかったりする。すべてがベンダ目線で動く日本のIT業界ならではの状況で、このままでは、Web2.0やSaaSなどと同じように一時のブームで終わってしまいかねない。そんな危機感から、ちょっと今、このような米国発の言葉のルーツというか、つながりを米国のユーザサイドからの目線で考えてみている。
ここ数年、米国のベンダと付き合ってきて感じたことだが、彼らはユーザニーズに極めて敏感だ。というのも、彼らが主要な顧客としている米国大企業は、ITに関する自社の方針をしっかり持っている。また、経営陣もその時々で様々な要求をITに出し、タイムリーな対応を求めることが多い。近年、ビジネス環境が目まぐるしく変わっている中、ITへの要求も(いろいろな面で、時には対立するような形で)多様化し、システムのライフサイクルはどんどん短くなっている。ITコストも増大する一方だ。そんな流れと、これら米国発の言葉は無関係ではない。
一方、日本では長い間、ユーザはベンダにおんぶにだっこしてきた。ある意味、言葉は悪いがベンダによる「押しつけ文化」が「アウトソーシング」と名前を変えて幅を利かせている。最近、内部統制の強化をきっかけに、ユーザサイドも徐々に意識の変化を起こしているが、ベンダサイドはまだまだその変化に鈍感な状況だ。
こういう米国と日本の状況を踏まえつつ、どうやって「雲」をしっかり捕まえていくかを考えることが当面の仕事である。みんなが「クラウド」を大合唱しつつ、その理由はそれぞれ違う。いわば同床異夢、大合唱も不協和音の連続だ。「クラウド」をきちんとしたシンフォニーにするためには、個々の楽器をもう一度調律しなおして、さらに「クラウド」交響曲のスコアを持っている指揮者がきちんと指揮していく必要がある。
ある程度絵柄は描けているが、それは今後のお楽しみ・・・・・・、ということで、しばらくの間、読み物としての「雲をつかむ話」をこのブログに書いてみようかと思っている。思いつきで書くので、あまり期待しないでほしいのだけど、ある意味、正しいクラウド像を日本のユーザとIT業界に根付かせていくことが、最終的にユーザとベンダが Win Winの関係になれる方法だと思うので。
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