このブログは「風見鶏」が、日々気づいたこと、思ったこと、したことを気ままに綴る日記です。2008年9月に旧ブログから引っ越しました。バックアップをご覧ください。

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夢と現実のはざまで・・・・

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昨日、ふと思い立って、新幹線に飛び乗り、とある温泉地で下車。飛び込みで旅館に一泊して温泉三昧してきました。まぁ、これも一種の現実逃避なのですが、会社に正式復帰して、ようやく半月、まだ、エンジンも温まっていない状態で、すこしノッキング気味だったので、ちょっとギアダウン。

正直言うと、ちょっと気持ちの上で引っかかっていることがあって、すこし気持ちの整理が必要だったわけで。4月にハワイでやった自己分析、とにかく前を向いてやっていこう、という結論を出せたつもりだったのだけど、根本的な問題を置き去りにしていたようです。とにかく自分の知識や経験をいつまでも増やし続けていくために、理想を追い続けて、新しいことをどんどんやっていく、一見考え方として特に問題もなさそうに思っていたのですが、以前からうっすらと感じていた不安のようなものが、あることをきっかけに顕在化してしまいました。

そのきっかけ、というのが、会社のカウンセラー氏とのお話し。彼が言うには、(少なくとも私が理解したのは)年相応に枯れないと、自己と現実のかい離が激しくなってしまうよと・・・。自分が頭の中で描いている自分と、現実の自分の間のかい離が広がると、最終的に自己破たんするよ・・・ということのようです。有名な何人かの文学者が、自己破たんしてしまったのは全部こうした自己認識と現実とのかい離が原因なのだとか。

この話を聞いてから、なんとなくもやもやしていたのですが、この週末に温泉につかりながら考えてみて、そのもやもやが、実は以前から感じていた不安にリンクしていることがわかりました。昨年、うつになったときに感じた無力感、つまり、自分は何のために生きていくのだろうという疑問の答えとして、とりあえず自分を行ける所まで、どんどん大きくしていこう、強くしていこう、それを生きていく目的にしようと考えたのですが、実際、それをいつまで続けていけるのか・・・ということは棚上げにしていたわけで・・・。それでも、どんどん自分は年をとっていき、いつか、前向きになれなくなる時が来るのではないか・・・という不安です。その時、おそらく自分は生きていくことができなくなってしまうのだろう、そんな不安は、これまでにも漠然と感じていたものでした。前向きにありたい自分と、どんどん衰えていく肉体や頭脳とのかい離はおそらく、さらに大きくなっていきます。どこまで踏ん張れるのか・・・・、そう考えるとまた不安が押し寄せてきます。

最近、映画とかアニメとかを見ていると、その中に感情移入して没入している自分に気がつきます。ある意味、現実にできない体験をその中でしている反面、現実の自分からどことなく逃避しているような感覚にも襲われます。ゲームにしてもそう。私がRPGばかりを買ってくるのも、そうした仮想体験(見方によっては現実逃避)ができるからにほかなりません。子供のころ、家にこもって少年少女文学全集50巻を読み切った時の感覚に似ています。この時の仮想体験は、おそらくは普通の人の人生の何十回分に相当するでしょう。しかも、その舞台は外国だったり、違う時代だったり・・・。このときは、今とは逆に、まだ子供である現実の自分に物足りなさを感じたり、違和感を感じたりしたものでした。ある意味、今の私の中にはまだこの時の自分が残っています。53歳のおっさんとしての外面、表向きの自分と相当にかい離した内面がまだ自分の中に存在しているのです。その自分が、いつまでもエンジンを回し続けています。現実逃避の仮想体験だけではなく、現実の自分にもドライブをかけ続けているのです。いいかげんガタがきつつあるエンジン、でもある意味でそのエンジンに燃料を供給し続けてきたのは、いつまでも年をとらない(とりたくない)自分の内面なのです。私にはカウンセラー氏の一言は、この燃料をあきらめろ、と言っているように聞こえてしまいました。たしかにこれは一種の麻薬です、しかし、これを捨てると、たぶん私のエンジンは止まってしまいます。それにかわる燃料は、いまのところ見出せません。つまり、いつか破たんするリスクをかかえながら走り続けるしかないのです。

もやもやしたまま自宅に帰ってきて、しばらくテレビを見て、それからぶらりと雨の中を横浜まで出かけて、家電店を物色。その帰りみち、なんとなく答えが見えたような気がしました。

それも生き方なのだろうな・・・・。今はそう思っています。他に目的もないのですから。なにより、この麻薬の快感はちょっと捨てられません。これまでだって、現実の自分はいろんな意味で他人の3倍程度の経験をしてきたと思います。ダメならもう一度・・・という考え方がその根底にあります。それを支えてきたのが、年をとりたくない自分の内面なのです。(まぁ、何度やってもダメなこともありましたが・・・・ (__;)さすがにそれはあきらめて・・・ )とりあえず、破たんした時のことを考えながら生きていくことなどできませんから、もうそんな心配はしないでおこうと思います。とことん行ける所まで行って、ダメになったらその時にまた考えればいいや・・・と。危険な考え方ではありますが・・・。現実と理想のギャップは仮想体験(という名の現実逃避?)で埋めながら、現実の自分は、段階的にギアチェンジしつつ・・・スローダウンしていく・・・、とまぁ、うまくいけばいいのですけどね。

まぁ、懲りない奴ですわ・・・・自分

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このページは、風見鶏が2009年6月28日 18:27に書いた記事です。

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