寝坊して朝飯を食い損ね、昼前にブランチをとって、腹ごなしの散歩。それから海辺のラウンジで、海をみながら、ぼーっとしている。
さてさて、昨日は少し発想の転換をしてみようと思った次第だが、それはさておき、こんなありさまになった原因分析にとりかかるとしよう。まずは、仕事の行き詰まり。その原因はたくさんあるし、あげつらうとキリがないのだが、まずは自分でなんとかできそうな原因から。
ひとつは仕事を背負い込みすぎたこと。ここしばらく、この原因を考えてきたのだが、その根底には一種の不安感があるように思う。昨日も書いたが、とにかくこれまで、自分がしたい仕事ができるような環境を作ることを第一にしてきた。それはある程度成功しているのだが、自分では、その足場は常にぐらついていると思っている。
ハタから見ていると、器用に自分の好きなことをして給料をもらっているのが私の天賦の才というか、不思議に見えるようだが、実のところ、それをするために、かなり無理をしている。少なくとも給料をもらうためには、それが会社の役にたたなければならない。好きなことをしながら会社の役に立っていくことはかなり難しいし、一種のイリュージョンを作り出すこと(背伸びすること)も必要だ。自分としては何がイリュージョンかはわかっているのだが、それが自分自身の不安材料になる。だから、それを会社の役にたてるためのおぜん立てを含め、自分の中心的な仕事の周囲をかためるような仕事をどんどん作って、必要以上に背負い込んでしまうのだ。
きわめてマイペースな人間に見えるだろうし、実際にそうなのだが、内心は他人が自分をどう見ているかということにもきわめて神経質だ。ある意味、「いい子」でいたいのだ。これも、気前よく仕事を引き受けてしまう一因になっているのだろう。引き受けた以上、自分の思う形にできないとストレスがたまるので、さらにそのための周辺の仕事もついてくる。
「いい子」でいたい、というのは、おそらく幼少期から少年時代までのトラウマに起因しているのだろう。実際、自分では「いい子」でいたいのに、周囲からは「悪い子」扱いされて、周囲から浮き立ってしまっていたからだ。今から思えば、子どものころは、そういう気持ちに気付いてほしいばかりにしたことが、逆に周囲をいら立たせてしまっていたのだろう。これは、大学に入って地元を離れるまで続いた。ある意味、まったく違う環境に移って、ようやくそういう悪循環を断ち切ることができたのだが、その経験はいまだに自分の中に深く刻み込まれていると思う。
他人に対して愛想よくはしているが、実際のところ人付き合いは苦手である。これも幼少期に周囲になかなか溶け込めず、いじめられたりしていたことのトラウマや、その後の35年ほどにわたる一人暮らしに起因しているのだろうと思う。たしかに、気の合う友人たちと過ごす時間は楽しいが、一方で知らない人たちやいまいち気の合わない人たちに気を使いながら過ごす時間は苦痛だし、一人のほうが気楽だ。そういう意味から言うと、会社はその中間に位置する。だから、悪いほうに向かった場合、仕事を人に頼むより、自分で片付けたほうが楽だと考えてしまうようになる。人に頼んで自分の考えた形に仕事を仕上げてもらうには、苦手な人付き合いという面で多くの努力が必要になる。これも仕事を背負い込んでしまう大きな原因だ。
これらを、さて、どうしようか・・・と思うのだが、頭で考えたところで、なかなか結論は出ないだろう。ただ、こうした自己認識を持ちながら、物事がうまくいかないときに、そこに立ち返って考えてみることは必要だと思う。その上で、自分の仕事と他の人たちの仕事とすべきことを、きちんと見極めていくことが必要なのだろうと思う。
さて、今日の自己分析の時間はこれでおしまい。気分なおしにちょっと出かけてこよう。
コメントする