我が国の周囲には、我々の価値観では理解が難しい国がいくつかある。時として、それらの国々がすることは、我々を少なくとも苛立たせるし、場合によっては脅威にもさらす。
実際、インターネットでは、ある国からの攻撃が昼夜を問わず飛んでくる。これは、インターネットのセキュリティに携わっている人ならば、周知の事実である。この攻撃が、昨年夏の一時期、静かになった事実も有名だ。つまり、少なくともこの国の政府はこうした動きを(間接的に・・・かもしれないが)コントロールできるということだ。にもかかわらず、その後、また攻撃は増加した。つまり、この国の政府は、少なくとも普段はこうした状態を放置しているということだろう。先日も、海の向こうで、いくつかの侵入騒ぎがあって、その犯人として名指しされたが、政府はコメントを避けた。(WSJは、これまでならば、きっぱり否定するのに、今回は直接的なコメントを避けたのはなんらかの戦術的な変化かもしれないと述べている)
その国が、最近また物議をかもす政策を打ち出した。ネット上では批判(というより非難)があいついでいる。私自身もかなり無茶な政策だと思う。しかし、この問題は根が深いのも事実だ。実際、13億もの人口を抱えるこの国は、飽和状態に達しつつある先進資本主義国から見ると巨大な市場(少し違う見方をすれば、草刈り場)である。最近、「ジャパンパッシング」という言葉もあるが、各国とも、もうアジアといえば、この国・・・という感覚になっていることも否定できない事実だ。(そういうことも日本の感情論に火をつけがちである。)各国とも自国製品や技術の売り込みに躍起になっている。これを無制限に受け入れてしまえば、この国の産業の成長を阻害しかねない。しかし、一方で自国の技術だけでは、13億の人口を維持していけるだけの経済発展は難しい。少なくともこの国の政府にとってこのバランスを取るためにはかなり難しいかじ取りを強いられるだろうと思う。
一方、戦後の我が国を見てみると、高度経済成長期と言われる時期までは、1ドル360円という為替レートに守られて、国内産業は大きく成長した。ここで、価格だけではなく品質面での競争力を確保できたから、その後の円高水準にも(淘汰はあったが)持ちこたえることができたのだと思う。それを考えると、現在の彼国は、まだ価格面以外の競争力は不十分だ。そういう意味では、政府が保護主義的になるのは理解はできる。
やりかたがフェアではない、という議論もある。たしかに我々の価値観から見ると、理解できない政策がいくつもある。だが、この価値観は、ある程度発展を遂げ、飽和した先進国が作り上げたものでもある。その過程では、歴史的に様々な摩擦もあった。そういう素地のない国にとっては、いきなりそういう価値観をぶつけられることは、一種の経済侵略に見えても仕方がないのかもしれない。過剰に防御的になるのもある程度は理解できる。
環境問題もそうだが、先進国と途上国(13億の人口と国土を考えると、彼国はまだまだ発展途上だろう)が常にかみ合わない部分、それがフェアネスに対する考え方だ。途上国側には常に先進国の価値観押し付けがアンフェアだとうつる。先進国側は、ある程度成熟してきた国際関係やルールに火種をもちこみかねない途上国の無秩序な発展に神経をとがらせる。
このような中で、過度の感情論は互いに控えたほうがよさそうだ。もちろん、我々は我々の価値観を曲げる必要はない。是々非々の対応のなかで、彼らにルールを学んでもらい、それを浸透させる時間を多少与えてやることも必要なのではないかと思う。人権問題などについても、国際的な圧力をかけつつ彼らの過激な行動を抑えながら、制度を段階的に変えさせていくようなことも必要だろう。何よりも彼ら自身の体制が揺らぐことが、彼らにとっての一番の脅威だ。人権抑圧や国際的なルール無視が、逆に自分たちの体制を危機に陥れるということを学んでもらうことも必要だ。一方で、先進国、特に日本は極端な外需依存体質もどうにかしなければならない。他国の市場への依存体質は、ともすれば、国際的な力関係をバックにした強引な施策につながりがちだし、力関係において必ずしも強くない日本は、駆け引きにおいて譲歩を迫られることも多くなる。だからといって軍備強化などに走るのは、地政学的に見ても経済的に見ても愚策だ。経済的な基礎体力(つまりは国内経済、内需と優位性のある技術力)を強化していくしかないと思う。
今回の問題(ソースコードの開示など)についていえば、側面は2つある。ひとつは知的財産権の保護だ。ソースコードの開示そのものではなく、彼らがそれを不正に使うのではないかという危惧が根底にある。もうひとつは安全性(不正コードや脆弱性など)の問題だ。たとえば、軍事用や政府機関用などのソフトウエアでソースコード開示の議論は他国でもある。これだけ様々なものがネットワークにつながりだすと、万一、それで何かがおきれば大変なことになりかねない。それは我々の国でも同じだ。この二つはわけて考える必要があるだろう。前者については、彼国を国際的な知的財産保護の枠組みにきちんと参加させることだ。それだけではなく、より包括的な国際関係を作り上げることで、互いの信頼感を醸成していく以外にない。ソースコード開示はリバースエンジニアリングの早道だが、それがなくても、ある程度のリバースエンジニアリングはできる。我々もおおっぴらには言わないが、競合他社の製品をバラバラにするこらいのことはしているはずだ。問題は、それで得た知見をそのまま使うか、(相手のパテントにひっかからないように)ひねって使うかの違いだ。この部分は、先進国間でも「駆け引き」の材料である。知的財産権に対する各国の考え方はおおむね揃いつつあるものの、まだ微妙な温度差が残る。各国とも自国の利権の保護と、相手市場へどう切り込むかで常につばぜり合いを続けている。彼国にも同じ土俵に乗ってもらう必要があるのだが、先進国側には、自分たちの優位性をできるだけ維持したいというホンネもあるので難しいところだ。つまるところ、根底にある相互の不信感を払拭できなければこの問題は解決ができない。そのためには、感情論は無用どころか有害だと思うのだ。
一方、ソフトウエアの安全性についていえば、これは先進国でも深刻な問題だろう。家電を含め、さまざまな機器がネットワークに接続される時代、たとえば、テレビやゲーム機がWebブラウザを搭載している現在、マルウエアがこうした機器に影響を与える可能性も次第に大きくなってきている。大量販売される民生用機器用ソフトウエア脆弱性のリスクは、もしかしたら軍事用のソフトウエアの脆弱性に匹敵するかもしれない。なぜなら数100万台あるゲーム機すべてにウイルスが感染したら・・・などということを考えるとちょっと寒気がするからだ。もちろん、個々に脆弱性対策は進んではいると思うが、いまや重要なインフラとなったインターネットに、しかも大量に接続される機器の安全性については、なんらかの国際的な共通基準が必要かもしれないと思う。もしかしたら、彼国は自国でそうしたこと(攻撃)が日常的に行われているだけに、この問題をより深刻にとらえている可能性もある。
また、近年、オフショア開発が流行りだが、政治的、軍事的に不安定な地域や、IT関連の法制度が未整備な地域にオフショアすることはリスクを伴う。単純に品質や不注意の脆弱性混入だけの問題ではない。意図的に不正なコードを組み込まれてしまう危険性もあるからだ。もちろん、この可能性はオフショアにだけ存在するものではない。しかし、テロリストなどより強い悪意の存在を考えれば、リスクは相対的に高くなるだろうと思う。こうしたことを前提とした検査体制を考えていくと、はたしてオフショア開発が安上がりなのかどうかは、再考が必要なのかもしれない。
以上が、ここ数日のネットの反応を見ての感想である。
本日のRSA Conference USAのセッションの一つで、2009年のCyber Threatsの一つとして名指しされていました。
-Russia
-China
-Middle East Asia
-South Africa
の四つが指摘されていたのですが、とあるKey Noteでは、でかでかとアメリカの敵としてChina Flagが。
その取り上げ方には、「価値観」の差への戸惑いと、おそらく「未知の存在」への根源的な恐怖も感じます。
『灰の遺産』で、アメリカがソヴィエトに感じた形容しがたい恐怖を抱いていた感じがありますが、中国にも同様の怖さを感じているのではないでしょうか。
理由や背景はどうあれ、脅威には違いないと思います。実際に、具体的な事実もありますしね。文化や価値観が違うことに加えて、サイバーワールドの可能性そのものが道であることも影響しているかもしれませんね。米国のタカ派議員さんなんかは過剰反応しそうな感じですが。
サイバー軍拡競争にならなければいいのですけどね。