これは、昔読んだ「スヌーピーとチャーリーブラウン」の英語対訳版に書かれた、ウッドストック(鳥さん)の言葉だ。直訳して考えれば「渡り? 鳥の話だろ」くらいの感じなのだけど、実は、For the birdsには、ばかばかしいという意味合いがあるらしい。つまり、ウッドストックは鳥のくせに、「渡りなんて・・・」と馬鹿にしたわけだ。
しかし、同じ「渡り」で政官界が揺れている。「天下り」という言葉もあるが、こっちは官が民を低く見ていることをつぶさに証明する言葉でさらにわけが悪いと私は思っている。役所を早期退職して民間や外郭団体へ入り、数年務めて莫大な退職金をもらって、次へ・・・。庶民感情的にいえば、こんな「ばかばかしい」話はない。
ただ、ちょっと注意が必要なのは、いわゆる「公務員制度改革」の焦点が「天下り」「渡り」の問題ばかりにあたっていることだ。何十年も続いてきた官僚機構の慣習を変えるためには、それが必要になった原因を元から断たなければだめだ。もしかするとこれによって、官僚組織は根本的な変化を要求されるかもしれない。もちろんできるならそうしてほしいし、見識のあるブレーンを持った政治家が政策を主導する形はあっていい。だが、中途半端に終われば、政治家は自分で自分の首をしめかねない。トップの大臣のその分野での指導力が問われるだけに、これまでのようなポストのたらいまわしは難しくなるだろう。つまり、官僚機構をいじるのなら、政治家の側も、これまでの官僚依存から脱却しなければならない。さて、今の与党(総理)はその覚悟があるのだろうか・・・・。まさか、もうあまり長く政権を維持できないと悟っての「焦土作戦」だったりしないだろうなぁ・・・・。
なんとなくすべて国民不在で回っているように見えて怖い。
コメントする