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【勝手流WIKI風】Bureaucracy

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Bureaucracy

(英:名)

ビュロークラシー(ローにアクセント)のように発音する。官僚主義、お役所主義と訳される。日本語でいうところの、「お役所仕事」「役人根性」「縄張り主義」のような意味合いで使われることが多い。

「民主主義」 Demo-cracy に引っかけ、「お役所」 Bureau 「主義」 cracy とした造語のようである。(推測)

そもそも官僚機構とは、支配階層、つまり王政であれば国王、王族が、民主国家ならば政治家(政権党)が国家を効率よく統治するための機構であり、基本的には上意下達式のトップダウン組織である。一方、明確な役割分担による効率化をも担っており、またこうした役割分担を行うことで、官僚機構の暴走を防ぐための牽制関係が形作られる。

このことからもわかるように、支配階層が明確な意志を持って方向を示すことができるならば、きわめて効率のよい国家運営が可能となる。しかし、一方で支配階層が優柔不断であったり迷走する場合、官僚組織は混乱し、統制はとれなくなる。また、支配階層が官僚組織に政策をゆだねてしまうと、政策そのものが調整的になってしまい、抜本的な変革が必要な局面にあって有効な政策を打ち出すことができなくなってしまう可能性もある。

また官僚的組織は、役割分担、分業という本質ゆえに、「縄張り争い」または「押し付け合い」というような問題を発生させるリスクを伴っている。官僚組織が活性的で、積極的にものごとを進めていこうとする場合、時々、それぞれの役割の境界において「縄張り争い」が発生することがある。この調整は支配階層の仕事である。放置しておくと個々の部局の既得権益争いとなり、さらには腐敗の温床ともなる。

一方、官僚的組織がやる気を失ってしまうと、逆に境界にある仕事は互いに「押しつけあう」形となってしまう。民間企業でもとりわけ間接部門は官僚的組織の色彩が濃い場合が多い。不景気のあおりで、過度のリストラや経費削減が行われ、各組織の余裕がなくなると、「縄張り縮小」「押し付け合い」が始まる。きちんとした業務プロセスのリエンジニアリングなしに(いわゆる人減らしという意味での)リストラを行った結果として、よく発生する事象である。これも支配階層の出番なのだが、この場合、放置すると重要なボールが足下にごろごろ・・・・という事態に陥ってしまう危険がある。これは国家であれ、企業であれ、末期的な症状と言えるだろう。

いわゆる「お役所的」という意味で、この言葉を口にする人の多くが、後者の現象に直面していることが多い。「頼んだ仕事をしてくれない」「やるべきことをサボっている」という怒りが、この言葉を口にさせるのだ。では、このような時にどうすればよいか・・・。残念ながら一意な解答はないのが現実だ。だが、根本的には強権発動(つまり、上層部の権限、権力)に頼るしかない。

たとえば現場レベルならば、部課長クラス。部課レベルならば、事業部長、局長クラス、その上だと部門長とか次官級、その上は社長とか大臣・・・・。官僚機構はそもそもトップダウンなので、そもそもボトムアップの(つまり上が変わらない状態での)変革はありえないと考えた方がいいのだ。

もっと簡単にいうならば、「お役所主義」をぶっつぶすためには、自分がその権限を持つしかないのである。我が国においては、小泉政権がその(不十分ではあるが)ひとつの例になるだろう。

国ならば政治家になって首相に・・・という手が一番。会社なら、社長になれ・・・と。まったく遠大きわまりない計画になってしまう。まさに、人生設計そのものである。まぁ、この計画を建てて果たせる人はわずかだろう。もちろん挑戦する価値はあるが・・・。

では、こうした遠大な計画をたてずに・・・または、その過程で、「お役所主義」とうまく付き合っていくにはどうしたらいいか。これを考えた方が現実的かもしれない。つまりは、「寝技」の世界である。

先に書いておくが、いわゆる「寝技」は見方を変えれば「癒着」でもあり、一定のリスクを背負うことになるので注意が必要だ。度が過ぎなければ、硬直化しがちな「お役所」組織にあっても、結構、自分がやりたいことが実現できたりする。

さて、寝技の相手は二通り。現場同士の場合は、相手側の担当レベルもしくはキーマンとの個人的な接点を深めることだ。現場間のこぜりあいは、えてしてちょっとした誤解やすれ違い、問題認識の「軽重」の違いなどから発生する。こうした意識を相手側のキーマンと共有できれば現場レベルでの仕事は比較的スムーズに進む。もちろん、そういう相手がいればの話だ。

では、そういう人が相手側の現場にいなければ、どうするか。これは自分の上に頼るしかない。上同士でコミュニケーションをうまく取れれば、「上位下達」な組織は簡単に動く。最もいけないのは、相手を声高に非難したり、そうした抗議を直接相手の上司にぶつけてしまうことだ。「小役人」はメンツにもこだわりがち。メンツを潰してしまうと、たとえ上からの指示でも、のらりくらりと逃げてしまうこともあるから要注意だ。問題は、相手の組織の統制がうまく効いていないようなケース。この場合は、上司経由のルートも難しいことが多い。どうしても、とあれば上司経由でそのさらに上司から・・・という手もあるが、これは上司の才覚に大きく依存するし、先のメンツ論から言えば、慎重にしないと、さらに状況を悪化させる可能性が高い。ましてや自分の組織の統制がおかしい場合は、もちろん上司はアテにできないことが多いだろう。また、上司を使うなら、明確に何をしてほしいのかを伝え、理解させるべきだ。でなければ、自分が考えているのとはまったく逆の動きをされてしまうこともある。

結局、立ち戻るが、相手の現場に誰か話がしやすい人を作っておき、その人を切り口として相手側を動かしていくのが基本なのだろう。だから、何度も言うが、喧嘩腰は決して得にはならない。慣れてくると、また自分の立場が上がっていくにつれ、寝技のバリエーションは増えていく。ただ、組織の特性を頭に度を過ごさないことと、一切の論理が通用しなくなる特異点に近寄らないことが肝要だ。

では、そんなことを一生続けるのか・・・。まぁ、それも前向きな考えでやるなら悪くはないが、これは個々の生き方の問題だ。だが、少なくとも後ろ向きにとらえてしまえば、人生にとってもマイナスだろう。うまく物事が進めば自分の実績となり、評価を得て権限も増える・・・・そういう好循環ができあがれば理想的なのだが、「お役所」にはあちこちに「落とし穴」や「特異点」が存在する。うっかりそこに足を踏み入れないことも大切だ。まぁ、だてに「魑魅魍魎」の世界とは言わないわけだが、一歩下がって見ているうちはそれも一興。間違って、はまってしまったら、なんとか抜け出すしかないのだけど・・・

人生の中で一度くらいはそういう世界を経験するのも悪くはなかろう。鶏口牛後のことわざもあるのだが、牛後にいるつもりが、いつのまにか首のあたりまで・・・・みたいなこともあるとおもしろいのかもしれない。

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このページは、風見鶏が2008年10月17日 13:16に書いた記事です。

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