この前に書いた愚痴にも関連するのだけれど、技術屋としては誤った解釈や使われ方をしている言葉についても気にかかる。
「性悪説」という言葉の誤用(乱用)については何度も書いたけど、最近P2P(Peer to Peer [technology])という言葉の使われ方についても、かなり危惧すべき状況だ。
P2P技術の本来の意味は、いわゆる Client Server モデルのような、2つの役割にシステムを分けるのではなく、すべての参加者(コンピュータ)がその時々で利用者にもなり、サービス提供者にもなりうる、いわば究極の分散モデルを意味する。この技術の用途は広く、ネットワーク化されたコンピュータリソースを活用し、さらにサービスそのものの冗長度を大幅に向上できる「夢の技術」でもある。
しかし、最近、Winny 騒ぎなどに端を発して、(P2P技術を応用した)ファイル交換ソフトウエアをP2Pと総称する動きが出ている。これは明らかな誤用なのだが、名だたる大会社までもが、セキュリティポリシーにP2Pの利用禁止をうたうという深刻な状況になっている。
P2Pの技術はまだ未熟であり、その冗長性の高さの故に全体を統制する仕組みの実装が難しい面もある。Winnyなどは(敢えて)この課題を無視した結果として、(また、それに責任を持つべき作者の自由が奪われてしまった結果として)無法地帯と化してしまったのだが、今後の研究次第では、おもしろい応用がいくつも可能な技術だ。しかし、P2Pという言葉が「ファイル交換ソフト」の代名詞として誤用されることで、本来のP2P技術の発展そのものが阻害されてしまいはしないかと危惧している。
なんとか、この誤用に警鐘を鳴らして、本来の意味を取り戻せないものだろうか・・・と思っているが、それは一人(一組織)では難しい。この考え方に共感する人がいたならば、是非、ブログなどを通じて注意喚起をお願いしたいと思う次第だ。