2008年1月アーカイブ

P2Pは悪!?

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この前に書いた愚痴にも関連するのだけれど、技術屋としては誤った解釈や使われ方をしている言葉についても気にかかる。

性悪説」という言葉の誤用(乱用)については何度も書いたけど、最近P2P(Peer to Peer [technology])という言葉の使われ方についても、かなり危惧すべき状況だ。

P2P技術の本来の意味は、いわゆる Client Server モデルのような、2つの役割にシステムを分けるのではなく、すべての参加者(コンピュータ)がその時々で利用者にもなり、サービス提供者にもなりうる、いわば究極の分散モデルを意味する。この技術の用途は広く、ネットワーク化されたコンピュータリソースを活用し、さらにサービスそのものの冗長度を大幅に向上できる「夢の技術」でもある。

しかし、最近、Winny 騒ぎなどに端を発して、(P2P技術を応用した)ファイル交換ソフトウエアをP2Pと総称する動きが出ている。これは明らかな誤用なのだが、名だたる大会社までもが、セキュリティポリシーにP2Pの利用禁止をうたうという深刻な状況になっている。

P2Pの技術はまだ未熟であり、その冗長性の高さの故に全体を統制する仕組みの実装が難しい面もある。Winnyなどは(敢えて)この課題を無視した結果として、(また、それに責任を持つべき作者の自由が奪われてしまった結果として)無法地帯と化してしまったのだが、今後の研究次第では、おもしろい応用がいくつも可能な技術だ。しかし、P2Pという言葉が「ファイル交換ソフト」の代名詞として誤用されることで、本来のP2P技術の発展そのものが阻害されてしまいはしないかと危惧している。

なんとか、この誤用に警鐘を鳴らして、本来の意味を取り戻せないものだろうか・・・と思っているが、それは一人(一組織)では難しい。この考え方に共感する人がいたならば、是非、ブログなどを通じて注意喚起をお願いしたいと思う次第だ。

本音を書けば、最近、セキュリティなんて仕事をやっているのがだんだん窮屈になってきた。特に、情報漏洩騒ぎに端を発した管理強化やことさらな内部統制強化が叫ばれはじめて以来、どんどん肩の荷が重くなっていく。それはそれでセキュリティという考え方がようやく市民権を得たのだと考えれば、喜ぶべきことなのだろうが、なんだかしっくりこない。その理由を考えてみると、世の中的に、セキュリティ=管理強化・・・といった風潮が強くなっている結果、セキュリティ対策として自分が考える施策が、逆にどんどん技術者としての自分の自由度を狭めてしまっていることが大きい。セキュリティ屋の責任が重くなるのは、むしろ望むところだが、その責任と自分の向いている方向とのバランスをどのようにとっていくか・・・というあたりが目下、個人的な悩みどころだ。

見方を変えれば、この窮屈感は自分以外の多くの技術者や研究者にも共通した悩みであるのだろう。ある発想が浮かんだら、すぐさまそれを試してみたい、実証してみたい。そう思うのが技術屋だ。しかし、何かするのに、手順書やら承認やらめんどくさい決まりがいっぱいできてしまうと、それを考えただけで気持ちが萎えてしまう。ちょっとキリが悪くて仕事を持って帰りたい・・・と思っても、それは簡単ではない。もちろん、無意識にそうしたことをすることによって起きるリスクは十分わかっているし、それを避ける方法も知っているのに・・・である。

ある意味で過剰反応ともいえるこんな風潮が出るのは、つまりはリスクに対して個別の議論抜きで、ばっさり網をかけるような対策に終始していることが原因だと思う。つまりは、一番高いリスクを念頭に、かつ一番意識の低い人たちに合わせた対策を考えてしまっているからだ。一番バカな連中に合わせて物事を決めていたら、普通の、ましてそれ以上の技術者たちはみんな嫌気がさしてしまうにちがいない。結果として、日本はユニークな発想ができる技術者や研究者をみんな失ってしまいかねないなと危惧している。(日本は・・・・以前にまず自分の発想が萎えることが心配なのだが・・・)  つまりは自分たちのためのはずのセキュリティが結果的に自分の首を絞めているということだ。

なんとか緩急をつけたセキュリティ対策を・・・・とあれこれ考えているが、まず最初の一歩であるリスク評価の(社会的に納得感が得られる)方法論が確立していない。とりあえず、自分の周囲だけでも・・・と説明可能な評価方法をあれこれ模索しているが、結果とした考えられた対策レベルで何か大きなインシデントが起きれば、その評価方法そのものの是非を問われかねないだけに、考えているとどんどん深みにはまっていく。まして、それを自分の組織の標準にしようと考えれば、様々な調整、説明、交渉ごとも発生する結果、どんどん自分の仕事が増えていく。しかし、だからといって諦めてしまえば、自分の仕事がどんどんつまらないものになっていく。どちらにころんでも自分の首を絞めてしまうのなら、前に進んでいくしかなさそうだ、というのが今のところの結論である。

はてさて、いつまで息が続くやら・・・・・

今日、ドコモの請求書が届いていた。あけてみたらやっぱり・・・、パケ代だけで13000円也。はぁ、旅先でデカい画像をがんがんアップしちゃったからなぁ・・・・。まぁ、これは自業自得でしかたがないのだけど、請求書の明細をつらつらと眺めていてふと思ったことがある。

他社に対抗してドコモが基本料の50%割引を始めてからしばらくたつが、私はこの恩恵にはあずかっていない。なぜなら、もう10年以上ドコモを使っているので、基本料はそれだけで25%割引、実家の母親に渡している携帯のファミ割25%分を入れるともう50%の割引限度になってしまっているので、それ以上の割引ができない仕組みのようだ。実際、サービス開始当初にドコモショップに行ったら、既に50%の割引になっているのでダメだと言われた。

実際、MNP争いではドコモは劣勢のようだが、それもそのはず、長年ドコモを使ってきた上得意になんのメリットもない施策ばかりを打っているからだ。少なくとも私にはそう見える。この争い、本来ドコモは守りを固めるべきはずだ。であるならば、まず長期にわたって使っている上客を引き留める手を打ち、その上で乗り換えを誘うのがとるべき作戦だろう。しかし、割引合戦で遅れをとるまいと打って出た結果、肝心の本丸が手薄になってしまったような印象だ。私は完全な作戦ミスだと思う。これでは、乗り換えが多少あったとしても、流出は止められない。まさに、結果が物語っていると思う。釣った魚にエサはやらない・・・ではあまりに客をナメてはいないか。

さて、乗り換えも視野に入れて・・・と思っていたら FOMA の 905i が出てしまった・・・・。う~ん、まだしばらくはドコモかなぁ・・・・。(悩)

このところ、日記が週1ペースになってしまってる・・・・。

ところで最近、CSのスーパードラマチャネルで宇宙空母ギャラクティカのリメイク版が始まった。見てみるとストーリーがかなり異なるものの、SFXなんかは格段に向上している。旧版のテレビシリーズも並行して放送されていて見比べて見るとおもしろい。ただ、新版側では、ギャラクティカは退役まぎわのボロ船で、頑固な艦長がコンピュータのネットワーク化を嫌ったために、サイロンのウイルス攻撃から唯一生き残るという設定。生き残った人類政府の大統領は女性。このあたりのコンセプトは現代のもの。(苦笑) ・・・なので、艦内のメカなどは、かなりボロい感じ。最新のメカを期待した点は裏切られたのだが、これは往年のテレビシリーズのマニア(かなりいい歳になってるはず)を意識してのことなんだろうかと邪推してみた。見方によっては前作の続編ともとれる作り方だが、12惑星が全滅状態で、残った人類がまだ見ぬ地球を求めて逃避行を続けるというのは同じ。いずれにせよ、今後の展開がたのしみだ。

しかし、スタートレックといい、エキサイティングなSF映画はやっぱりアメリカ製なんだなぁ・・・と改めて思った次第。これは、登場人物が外国人で我々日本人にとっての生活臭がない、というのも一因なのかもしれないが、間違いなくストーリー展開も緻密で一貫したものがあるように思う。SFXのレベルも向こうが(金のかけかたも含めて)一段も二段も上手だが、そうした技術の使い方、生かし方になれているように思える。

それに引き替え和製のSF映画は、特に最近駄作続き。いい例が小松左京ものの映画化だ。最初の日本沈没は、当時のSFXのレベルではまぁまぁ見れたし、復活の日あたりまではある程度原作の思想に忠実にできていたと思う。ところが、首都消失では、本来、見えないことで観衆の想像を誘うべき雲の内側を見せてしまったり、あげくのはてにはウルトラマンばりのメカまで登場させてしまって、ストーリーを台無しにしてしまった。最近リメイクされた日本沈没に至っては、ストーリーを大幅に変えてしまって安っぽい自己犠牲ものに仕立てたあげくに、沈没までも止めてしまうという暴挙に出た。そもそも日本民族が国家と国土を失ってどうなっていくのか・・・ということをテーマとした小松左京の意図を踏みにじった、まさに暴挙としかいいようがない。おまけに、SFXのレベルもお粗末。小松左京ファンとしては二度と日本での映画化はやめてもらいたい気分である。

やっぱり、日本はアニメ・・・・なのかなぁ・・・。

なんだか、最近日記を書く気力がなくて、今年にはいってから1件しか記事がないのはちょっと悲しい。仕事が忙しい・・なんて言うと、若い人には怒られそうだけど、どうもあれこれいくつも細切れで仕事をしていたり、調整役に回っていたりすると、めっきり疲れてしまう。まぁ、そろそろ自分でがりがり仕事をする歳じゃない・・・というのは過去の話。上を見ればまだまだ団塊がフタをしてる状況でこれを支えるのも一苦労・・・。(ここだけの話 ~^;)

ともあれ、いくつかネタを振り絞って・・・

先日、とうとうニンテンドー DSを買ってしまって結構ハマっている。とりあえず通勤時は正しいサラリーマン風にTOEICトレーニングなどをやっている。結構音がクリアなのでリスニングもなかなか聞きやすい。やっぱり思った通り、弱点はリーディング・・・もう少し単語力をつけないとコンスタントに800点台は厳しそうだ。

でも、DSのメインはやっぱゲーム・・・。家に帰ると懐かしの FFやらDQやらで現実逃避をしている。FF4を途中にしてDQ4にハマっているのだけれど、ちょっと不満はコントローラボタンの不調。新品なのに、チャタリングが出る。メニューを開こうと思ってボタンを押すと、そのままトップのエントリーが選択されてしまうことが時々ある。DQ4で良く出るので、もしかしたら機械的なものではなくソフトウエアのキー処理がおかしいのかもしれない。おそらく、スーファミ時代のソフトの焼き直しだから、ハードがかわったせいで不具合が出るのだろうか。ちょっとゲームとしてはおもしろくない。なんとなくキー処理なんかは共通のファームウエア上のライブラリでやっていても良さそうなものだけど、FFではこのあたりはほとんどでないから、やはりDQ固有の話なんだろうなと思う。

さて、正月で体重が増えて先週あたりからちょっと減量を試みていて、この週末でまた戻してしまったのだけど・・・(^^;) 最近、近くのコンビニ惣菜のカロリー表示が気になる。気に入ったものを見つけてカロリー表示をみたら、書かれていない・・・という状況に時々遭遇する。サンドイッチなどでも、ものによって書かれていたりいなかったりするのだけど、だいたい、書かれていないやつに限って、ちょっとヤバそうである。つまりはカロリーが高そうなやつだ。穿った見方をすれば、書いたら売れなくなるから書かないんじゃないか・・・とも思う。今のところ。こういう表示は業界の自主的なものだろうから、米国みたいに法律で(もしかしたら州法かも?)で義務づけられたほうがいいのかもしれない。実際書かれていても、本当に正しい値なのか・・・。似たようなものでも、店によってかなり違いがあるのも確か。さて、このあたりって日本ではどういう扱いなんだろうな・・・。

おっと、いかん。夜更かししていたら明日寝坊してしまいそうだ・・・。そろそろ寝ることにしよう・・。

新年おめでとうございます。

12月はなんだかどたばたと過ぎていき、仕事の気疲れからか、日記を書くのもなんとなくおっくうになってしまっていたような状態。とりあえず、年末年始、実家に帰ってのんびりして、ちょっとリフレッシュできたような気がします。

さて、今年はどんな年になっていくのでしょう。仕事の面では昨年以上にどたばたしそうな感じですが、そろそろ自分の仕事の総仕上げをどのような方向でやるのかも考え始めなくてはいけないのかもしれません。なかなか自分のペースで仕事が出来ずにイライラしてばかりの昨年でしたが、今年はスピード感を失わない程度にリラックスできるといいのですけどね。

さて、今日の帰りはそんなに大きな渋滞もなく、しかし、たっぷり8時間以上もかけて実家から帰ってきました。とりあえず、スピードを抑えめに走ったせいか、私の車(運転?)にしてはめずらしく、リッター11Km以上も走ってくれました。ターボをきかさないと結構燃費がのびるんですねぇ。 (^^;)

白馬あたりから天気が好転。安曇野からみる北アルプス(常念山脈だと思う)の山々や八ヶ岳、そして富士山が綺麗に見えました。

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