元宮内庁長官メモが波紋を呼んでいる。今、このタイミングで出てくることも奇妙だが、それはさておき興味深いものだ。
A級「戦犯」は勝者の論理で決められたものという人たちがいる。たしかに東京裁判は、戦勝国が敗者を裁いた、しかも、ある意味で根本的な戦争(開戦)責任の所在に目をつぶったままの、いびつなものだったとも言える。しかし、そのA級戦犯に上げられた人たち(の一部?)に対して、昭和天皇が靖国参拝をやめてしまうほどの不快感を感じたということはどう考えるべきなのだろうか。開戦前夜から終戦に至るまでの過程で、何か昭和天皇自身の意志と大きく違うことが彼らによって行われたのではないか、そんなことを考えてしまう。だとしたら、彼ら(の一部?)は、お仕着せの戦犯ではなく、日本の進路を破滅的に誤らせた、真の意味での「戦犯」だったのかもしれない。
最終的には、「真偽はわからない」でうやむやになってしまいそうな、今回のメモ騒ぎだが、あのような悲惨な戦争への過程を探る上でのなにかヒントになりそうな気がした。
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