今朝の日経を見ていたら、ドイツの若者がワールドカップの会場近くで、ナチスドイツ時代の出来事についての展示を行うのだそうだ。終戦直後から現実を直視し、過去への反省を真摯に進めてきたドイツらしい出来事だと思う。そのドイツは今、EUという大きな枠組みの中で、かつての敵国、フランス、イギリスなどと共に重要な役割を占める国となっている。戦後、とにかく「負の部分」を、うやむやに捨て去ろうとしてきた日本とは好対照だ。近隣諸国との関係においてもまた、今の日本が感じているような「ぎくしゃく感」はドイツにはないように見える。
たしかに、「ヒトラー」「ナチス」という悪のシンボルにすべてを集中させやすかったドイツと、軍部や政界の一部の集団ヒステリー的に突き進んだ日本とは、形が違うかもしれないが、より難しいからこそ、もっと力を入れて、過去を暴くべきだったのではないかという思いが私には強い。あの戦争に至る大正・昭和史の中で、どこで舵を修正すれば、あの悲惨な戦争を回避することが出来たかを、もっと研究すべきだと思う。その過程であばかれる「闇」の部分にも目を背けずに・・。戦没者の犠牲の上に今の日本があると政治家は言う。もちろん、心情的には、(真の意味での)「戦犯」を除けば、そう考えたい。しかし、もう一つ進めて考えるならば、舵の切り方次第では、それら戦没者の多くが今なお生きて、現在の日本を作り上げていくことが出来たとしたら、どうだろうか。そのための舵取りはどうあるべきだったのかを真剣に考えていい時代が来ていると思う。
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