宗教戦争

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ヨーロッパと中東が騒がしい。ムハンマド風刺問題だが、信仰心を逆撫でした、という意味で「良識」のヨーロッパの名が泣くと思う。ムスリムの人たちの過剰反応とも思われる反応も、根底にはアフガニスタン、イラクと続く、欧米流価値観押しつけ戦争への嫌悪感が根底にあるのだろう。いみじくも、ブッシュが口走った十字軍、これが欧米のホンネなのではないかとの不信感があるんだと思う。

私はそもそも宗教を信じない。神、仏は自ら律することができない者が道を踏み外さないためのガイドだと思う。しかし、歴史的に見れば反面で、これは権力の維持に使われてきた。欧米では民主主義の衣によって覆い隠されてはいるが、依然として歴然と残っているし、中東ではまさにその絶頂にあると言ってもいい。仏教をベースとしたアジアでは比較的弱いが、日本の歴史を見ても、仏教だって統治の道具として使われてきた。結局の所、宗教戦争は権力維持のための闘争だ。侵略や覇権主義を正当化するための道具に落ちぶれてしまっている。多くの民衆の信仰心とはうらはらに。

人を越える存在の可能性は否定しない。そういう意味で私も「インテリジェントデザイン」論者である。しかし、その根底に宗教はない。人を越える者が絶対的な力や権力を持ち、我々にわずかな保護と引き替えに服従を迫るならば、それは奴隷とかわらない。まっぴらごめんである。我々は神や仏によらない独自の価値観を作り出す必要があるのだろう。

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コメント(1)

付け加えるならば、決して私は宗教の存在(意義)を否定するわけではない。少なくとも、信じることで心の安らぎを得ている人は数多いはず。小泉首相じゃないが、それは「心の問題」だと思う。

ただ、ともすればそれを「押しつけようとする」人たちがいることに私は反発している。私は絶対的な何かを信じようとは思わない、それだけだ。価値観は多様でいい、だが押しつけはいけない。歴史に残る戦争のほとんどは、それが原因じゃないのかな。

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このページは、風見鶏が2006年2月 9日 07:22に書いた記事です。

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