いつか来たみち・・・・

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今日の日経の「風見鶏」の内容がちょっとひっかかった。「靖国」よりも「憲法改正」のほうが簡単だという内容だ。経済界も国民の支持も大きくなっている・・・・と、根拠もなく(というか、表面的な事象のみをとらえて)語っているところに、ジャーナリズムとしての危うさを見た。そもそも憲法改正論議の奥には様々な思惑が見え隠れする。「賛成派」とて、その内容はまちまちだ。そうした内容に言及せずに「機は熟した」的な発言はいただけない。きわめて短絡的な思考といわざるを得ない。

首相の(これは「日本の」問題ではなく「小泉首相」の問題である)靖国問題をはじめとした昨今の日本の外交を見ていて思うことは、役人はともかく、政治家が世界(の反応)を過小評価する傾向がある点だ。そもそも、価値観やそのもととなる思想・宗教的な背景も、社会的、経済的背景も大きく異なる相手に対し、「自分の内面の問題」を理由に、相手が嫌がることを「これみよがし」にやるわけだから、中国や韓国の反応のほうが正常と言える。たとえば自分の信念を理由に友人の嫌がることをすれば、その友人は失ってしまうだろう。価値観のあわない友人ならばそういう選択もあるかもしれないが、たとえば、毎日顔をあわせている同僚や隣人だとそう簡単ではない。馬の合わない奴でも簡単に切って捨てるわけにはいかない。もちろん駆け引きはあるだろうが、そのためには、互いの力関係や依存関係をきちんと評価しておかないと痛い目を見る。

たとえば、太平洋戦争だ。たしかに開戦前夜、日本は経済封鎖などの包囲網で身動きがとれなくなっていたかもしれない。しかし、それに至る過程で日本は、相当、世界に対して独善的な振る舞いをしてきたように思う。当然価値観が違う相手に対しては、通常の駆け引き以上の交渉力が要求される。ましてや、欧米中心の国際社会において、日本は新参者だったはずだ。その新参者が好き勝手をやれば、波風がたたないはずはない。結果として、日本は世界から孤立してしまった。孤立させられたのではなく、自ら孤立してしまったのだ。これは、(政治家や軍部が)日本の動きに対する世界の反応を過小評価してしまったことが原因だと思う。相手の力と自分の力のバランスも正しく判断できていなかったのだろう。結果は悲惨なことになったし、その責任はいまだ問われていない。東京裁判は戦争の勝者が敗者を裁いたという点で正しい責任追及にはなっていない。裁かれたのは、戦勝国に対して与えた被害についてである。むしろ、日本をミスリードし破滅に導いた責任を日本の国民自身が問うことが必要だったし、それはいまだ行われていない。それなくして、憲法改正はありえないと思う。

この二つを比較して、類似点を見出してしまうのは考えすぎなのだろうか。独善は孤立を呼び、孤立は力への希求となり、最後は破滅だ。いつか来た道を歩まないことを心から願いたい。そういう意味で、ジャーナリズムの役割も大きい中、非常に残念に思える記事だった。

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コメント(1)

今日の「風見鶏」(日経)は、ちょっと評価できるかな。先週のは批判が大きかったんだろうなぁと推測。

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このページは、風見鶏が2006年1月 8日 10:52に書いた記事です。

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