インターネットについての私の考え

インターネット、とりわけWWWの楽しみ方は、人それぞれの方法があると思います。 様々なホームページや情報ページを渡り歩いてネットサーフィンを楽しむのもその一つなら、 海外の通信販売ページでショッピングをしたり、様々な企業の提供する情報を自分の生活に活かしたりと、 実用的なものだってあります。

インターネットで得られる情報は、その発信者の立場、信条、良心など以外に束縛されない、 きわめて自由な情報です。情報発信は、その発信者の良心が許す限りにおいて、自由に行うことができ、 その内容に対して第三者が恣意的な操作を行うことは、ほぼ不可能です。

既存の「マスコミ」と呼ばれるメディアから得られる情報は、無難であるかわりに大きな偏りがあると私は考えます。 思想的な偏向とか言うのではなく、報道されることは頻繁に報道されるが、 報道されない部分はほとんど報道されないという意味においてです。 報道する「価値」があるかどうかという判断が、彼ら自身にゆだねられているということが問題なのです。 我々は、好むと好まざるとにかかわらず、フィルタのかかった情報を渡され、それに慣れきっています。

インターネット、とりわけ、個人のページから得られる情報(というのは大袈裟な場合もあるのですが)は、 そういうフィルタが一切かかっていないかわりに、時折、不正確であったり、発信者の主観が前面に出ていたりして、 既存のマスコミから得た情報とは、かなり異質なものです。 言葉を変えれば、決して鵜呑みにできない情報、最初は疑ってかかったほうがいい情報なのです。 こういう言い方は極端なので、異論のある方もおられるでしょう。 もちろん、全体的には、良心的な情報が多いでしょうし、悪意を持った情報は、ごく少ないと思います。 しかし、良心的な情報とはいえ、間違いがないとは言えません。特に個人の主観が入っている情報についてはなおさらです。 中には個人の思想を100%全面に出した主張だってあるでしょうし、特定の対象を批判もしくは非難するものだってあります。 このような情報は、表向き「中立性」「政治からの独立」「客観性」をうたった既存マスコミから得られるものとは、 まったく異質なものです。このことを理解しておいていただきたいのです。 インターネットでは、何を公開しようと規制はできません。 インターネットになんらかの実効的な規制を行うということは、「接続を切る」ことと等しいからです。 もちろん、発信者は自分の良心には縛られますが、それ以外の規制はありません。

我々日本人は、議論、討論を通じて結論を導き出すという、民主主義の手順に不慣れであると言われます。 このことは逆に言えば、流れ込む情報を自分の物差しで整理分析して評価することに不慣れだということです。 インターネットを通じて得られる情報は自分の頭の中でフィルタをかけることが必要です。 フィルタのかけ方は、あなたが決めればいいのです。それが、あなたの価値観なのですから。 情報に使う「価値」があるかどうかという判断は、あなたが行うのです。 この私の主張だって、私の価値観から書いているものですから、まず、あなたの価値観でフィルタをかけてください。 情報を受け入れるか捨てるか、活かすか殺すかは、すべてあなたが判断してください。

あふれる情報の中から、自分が必要なもの、自分に合うものを、自分自身の価値判断で選択できるということは、 逆に言えば、自分が選択した情報によって被った不利益は、すべて自分の責任であるということです。 もちろん、だからと言って、故意に不正確な情報を発信することは、倫理的には問題でしょう。 少なくとも、自分が発信した情報への正当な方法による批判には真摯に答えねばなりませんし、 それができないような内容は発信すべきではありません。 にもかかわらず、すべての情報は受け手責任で利用されねばならないのです。

私は、このようなインターネットが、一種の文化として日本に定着していくならば、 情報民主主義とでもいうべき、すばらしい世界が開花すると考えています。 あらゆる情報が、フィルタをかけられずに発信でき、その評価は受け手が下す。 人々は受け手であるばかりでなく、必要ならば、誰でも自由に意見、主張を世界中に発信できる。 究極は、このような電子通信網(サイバーインフラストラクチャ)を基盤とした直接民主制の実現でしょう。 これは、あながち夢ではありません。もし、このインターネットブームが一過性のもので終わらず、 様々な所で定着していくならば、来世紀の日本は大きく変貌するでしょう。 やがて、国境すら意味が無くなる日が来るかもしれません。 既存の古い政治・経済体制、マスコミなどは、この状況に追随できなければ、大きな打撃を受けるでしょう。 もはや、「知らしむべからず、依らしむべし」という方法ではリーダーにはなれません。 これからは、「知らしまざるもの、言うべからず」です。あらゆる情報を公開した上で、主張し、受け入れられるという形が、 政治の世界でも、ジャーナリズムの世界でも重要になるでしょう。 どんなに隠しても、情報はどこからか入手できるのですから。

「インターネット、インターネットと騒ぐけれど、まともな情報なんてひとつもない」と嘆く人が必ず現れるでしょう。 そのような人(もしかすると、政治家とか、ジャーナリストを名乗る人であるかもしれない)は大きな勘違いをしているのです。 自分に有用な情報は、自分が探してこないと見つからないのですから。 ゴミ(他の人に取っては重要な情報かもしれないが)の中からダイアモンドを探す楽しみもインターネットの楽しみの一つです。 どうかあなたも、自分流にインターネットとつきあってみてください。 何年かつきあってみると、いつしか、自分に欠かせないメディアとなっているのに気がつくのではないでしょうか。


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Nov. 12 1995

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