迷いの森の亡霊

11.売られた喧嘩


 実験をはじめてから3時間ほどがたった。 健はシミュレーターのコンソールの横の机に座って新聞を読んでいる。紀 子はというと、 退屈そうに大きなアクビをして、ぼんやりと記号の列が流れていくコンソールを眺めている。

「変化は。」

「なんにもないです。ごく普通の通信がときどき発生するだけで、変わった様子はぜんぜんありません。」

「持久戦だな、こりゃ。」

今度は健が大きなアクビをした。餌をまけば、すぐに食いつくと思っていたのが甘かったなと健は思った。 敵はなかなか慎重派のようだ。 いったい、いつになったら尻尾を出すのか。 健は椅子の背もたれにもたれて大きく背伸びをした後、 立ち上がってコンソールの紀子の後ろに立った。

「確かに、オペレーティングシステムの定期的な通信しか発生していないな。敵はまだ動かずか。」

オペレーティングシステムつまりOSは、コンピュータの自律神経系のようなもので、 各種の仕事を円滑に行うための様々な仕事を受け持つソフトウエアである。 最近のOSはネットワークを介して他のコンピュータと連携して仕事を行うため、 定期的に他のコンピュータと交信を行うのである。 特にこれという仕事もないので、ほんの挨拶程度に短い通信が時折行われるだけである。

「すこし負荷をかけてみるか。」

健が言った。なにかコンピュータに仕事を与えて様子を見ようというのである。

「そうですね。もしかすると、トラフィックが増えたら、それに紛れて通信をはじめるかもしれないし。」

もし、そうなら作った奴はなかなかの奴だなと健は思った。 しかし、例のプログラムの構造から見ても、その目的を巧妙に隠そうとする意図がよく見える。 ならば、それくらいの配慮はなされても不思議ではない。 健は生贄の前に行き、いくつかのアイコンをマウスでクリックしてプログラムを起動した。

コンソールの画面がにわかに動き出した。 起動したプログラムがそれぞれの目的に従って通信を始めたのである。 紀子は怪しい兆候を見逃すまいと目をこらしてコンソールを見つめている。

「どうだ?」

「通信は増えたけど、やっぱりおかしな通信は見つからないですね。」

「ダメか。」

敵はかなりしぶとい。もしかすると、自分のコンピュータから取り出すときに壊してしまったのではないかと健は思った。

「タスクモニタを見ると動いてるんだけどな。」

どうやら、問題のプログラムはなにやら活発に動いているようではあるが、一向に外部と通信する様子が見えないのだ。

「まいったな。こりゃ。」

「待つしかなさそうですね。」

二人はうんざりした顔をして、仲良く溜息をついた。


窓からさし込む日差しが長い影を部屋の中に作っている。冬の太陽はもう西にかたむいて、窓の外の景色を赤く染めはじめていた。 すでに実験をはじめてから6時間以上がたった。しかし、敵は動く気配がない。少し前から健は落ちつきなく部屋の中を歩き回り、紀子は紀子で、窓際に立ってぼんやりと外を眺 めていた。

「やっぱり、壊れたのかな。」

「感染できる状態に戻す方法が違っていたのかもしれないですね。やりなおしかな。」

「明日はご用納めだぜ。このままじゃ、正月はなしだぞ。」

「え〜、私もですか。」

「ここまできたんだ、つき合えよ。」

「やっぱ、卒業してもここに勤めるのは考え直そうかな。」

「鬼が笑うぞ。」

「鬼っ。」

紀子は笑って健を指さした。

「しょうがないなぁ。特に予定もないからお付き合いしましょう。」

「よし、決まった。ということで、今日はここまでにしよう。年末の休暇中ならこの部屋も使い放題だからな。」

「もう、もう少しやってもいいんじゃないですか。何かわかるかもしれないし。」

「正月潰すと決まったら、今夜は前夜祭だ。奢るからつき合えよ。」

「そんなことばっかりやってると、そのうち彼女に見放されるんだから。」

「・・・」

一瞬、健の脳裏に玲子の顔が浮かんだのは言うまでもない。二年詣りは無理か。あとで電話しておかなきゃな。

「大きなお世話だ。」

「あったりぃ。やっぱ、心配なんだ。」

「黙れ、うるさい。」

「女心はデリケートなのよ。振られてもしらないから。」

「お前を見てるとそうは思わんがな。」

「ひど〜い。失礼しちゃうわ。」

口をとがらせる紀子を後目に、健はコンソールに向かって終了のコマンドを叩こうとした。

「おい、これを見て見ろ。」

突然、健が叫んだ。紀子がコンソールを覗き込むと、そこには真っ赤な文字でいくつかの記録が並んでいた。

「外部と通信しようとしている。それも、別のコンピュータが。」

「え、どうして。」

驚くのも無理はない。生贄にしたコンピュータではなく、同じネットワークにある別のコンピュータがいきなり外部の何の関係もない相手と通信を始めたのだから。 もちろん、シミュレータはあたかも本物の相手と通信しているかのように応答を返している。

「こっちには外部と通信するようなソフトは入れてないはずだ。」

「とすると、知らないうちにこっちに感染したってこと。」

「そうとしか考えられない。ちょっと調べてくれ。」

紀子は、問題のコンピュータの前に座るとキーを叩き始めた。

「うそぉ。こっちに感染してるわ。いったいどうやって。」

「他のコンピュータも調べてみよう。」

健と紀子は片っ端から繋がっているコンピュータを調べていった。驚くことに、一台を除いてすべてのコンピュータに問題のプログラムは感染していた。

「驚いたな。どうやったら記録を残さずにこんなことが可能なんだ。」

「でも、どうしてサーバーだけ感染していないのかしら。」

「サーバーのOSは特殊だからな。それで感染できなかったのかもしれない。」

つまりは完全に裏をかかれたということである。どのような手段を使ったのか、実験台は見事に二人を出し抜いたのだった。やがて1台、また1台と通信をはじめ、コンソールの画面は真っ赤に染まっていった。

「FTP だな。」

「そうですね、ポート21番だから間違いないですね。おまけに、ファイアウォールを回避するために、PASV モードだわ。」

FTP はファイル転送のための通信手順であり、遠隔地にファイルを転送するために用いられる。この手順は通常、ファイアウォールによって阻まれるが、それを回避できる特殊なモードで転送を行っているのである。

「いったい何を送ってるんだ。」

「どうやら、システムプログラムと既知のソフトウエア以外のすべてのファイルを、ある間隔をあけて送っているみたいですね。」

「やっぱり、このプログラムが犯人か。これで、内部の機密が外に流れ出したんだ。まったくなんてことだ。」

「おまけに、たぶん転送が終わると自滅してしまうように作られてるんですよ。」

「しかし、これじゃゴキブリが出なかったら誰も気づかなかったんじゃないのか。どうしてわざわざあんなマネをしたんだ。」

「挑戦じゃないですか。」

「ふざけた野郎だな。」

健は不機嫌そうに言った。こういう挑戦状は受けて立つしかなさそうである。売られた 喧嘩は買うしかないなと健は思った。

「通信相手はどこだ。」

「これを見る限りだと、え、うちの大学じゃない。これ。」

「K大か。」

「そうそう。情報工学科のメインのサーバーよ、これって。うちの学生なのかな、犯人は。」

「そうとも限らないだろう。こういう手合いは、あらかじめ別の手段で侵入しておいたコンピュータを踏み台に使うことが多いからな。管理が手薄な大学のコンピュータはよく狙われるんだ。」

「いずれにせよ、調べないといけないですね。明日、教授に話をしてみます。」

「うん、頼む。本田さんからも正式にお願いしてもらうから。」

やがて、通信が途絶えてコンソールが静かになった。

「終わったみたいだな。」

「やっぱり、全部消えてるわ。きゃ、いやだ。またぁ。」

例によって一台のコンピュータに、またあのリアルなゴキブリが這い廻っていた。

「さて、どうしたものか。どこの誰が犯人かということもさることながら、このプログラムがどんな仕組みで動くのかを解析しなきゃな。またどんな悪さをするかわからないから。」

「ま、正月、ゆっくりやりましょう。」

「あはは、やっと腹をくくったか。」

しょうがないな、というふうに、紀子はひきつった笑いを返した。どうやら、正月気分など縁遠いものになりそうな二人だった。


* 続編をお楽しみに

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12.空気感染!?

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