迷いの森の亡霊

10.箱庭の中で


翌朝、出社した健は本田とともにネットワークシステム部の二谷を尋ねた。 本田と二谷は同期入社組である。 同期と言っても二人とも中途採用組なのだが、 たまたま同じ分野のスペシャリストであったことから、 なにかといい意味で張り合ってきた仲間である。 本田がその先見性を買われて今の部署に移ると同時に、 二谷もまたインターネットブームを背景に、 そのネットワークについての知識と経験を生かすべく、 新設のネットワークシステム部に移っていた。

「しばらくだな。」

「いやまったく。このところお互いに仕事の接点がないからな。 文句を言える奴がいなくて退屈してたところだよ。」

二谷は席を立つと軽く手招きをして、奥のドアのほうに歩いて行った。

「これがご自慢のシミュレーションルームか。」

本田が言った。

「ああ、なかなか面白い玩具が揃ってるよ。一日じゃ遊びきれんだろうがね。」

二谷が笑って返した。インターネットのみならず、 大企業の世界的な社内ネットワークの設計をも手がけるネットワークシステム部では、 大規模なネットワーク環境をシミュレートして、 設計を検証するための特別な設備を持っている。 このシステムは二谷が考案したもので、 高速の並列コンピュータを使用して、 世界規模のネットワークで発生する様々な事象を擬似的に発生させることができる。

「こいつがご本尊かい。小さなもんだな。」

と本田。

「なに、見かけでは判断できんさ。こいつの中には世界が詰まってるんだ。 君のところのサーバー1台に匹敵するチップが6万5千個も入っているようには見えないだろう。」

ご本尊と呼ばれたコンピュータは、人の背ほどの高さのキャビネットが3個、 背中合わせにくっ付いたような代物である。 二谷が自分の構想を実現するために、 大手電機メーカのM社を口説いて開発中の最新鋭機を借り出してきたのだった。 その見返りに二谷のソフトウエアはM社のパッケージとして市場に提供されることになっている。

「この部屋のネットワークは、このシミュレーターに接続されている以外は、 そこいらにあるLANと変わらない。 社内のいかなるバックボーンとも接続されていないし、 ましてや外部とは一切接続されちゃいない。 にもかかわらず・・・」

二谷の声に熱がこもってくる。本田は健を見てニヤリと笑った。

「にもかかわらず、例えばそのパソコンは社内や世界を相手に様々な通信が出来る。 もちろん、本当の相手はシミュレーターだが、 こいつにとっては、現実の相手と区別がつかない。 もちろん使っている人間にもな。いわば電子の箱庭ってとこかな。」

「しかし、それだけのことをやるとなるとシミュレーターのプログラムも大変になるんじゃないですか。」

健が口をはさんだ。

「吉田君だね。本田からいつも話は聞いてるよ。」

二谷は笑うと続けた。

「いい質問だ。一般にシミュレータのプログラムのほうが、 テスト対象のプログラムよりも難しいことが多いね。 特に、こいつみたいになまじ計算能力が高いシステムは、 最大限に能力を引き出そうとすると膨大なケースを想定したプログラムが必要になる。」

「最大限のプログラムだとどれくらいのボリュームになるんですか。」

「そうだな、こいつはネットワークの記述用に新しく開発した言語でプログラムすることができるが、 それでも最大限の処理能力を引き出すには100万行ほどのプログラムを書かないといけないだろうね。」

「100万行ですか・・・。」

冗談じゃない、と健は思った。 100万行のプログラムを書いてシミュレーションしなきゃいけないような用途なんて、 少なくとも我々の手の出る仕事じゃない。

「そんな顔をするなよ。なにも100万行を手で書けとは言ってないよ。」

「じゃ、どうやって。」

「コンピュータの能力が上がるにつれて、そのプログラミングは難しくなる。 難しいと言ってもテクニックではなくて、 能力を最大限に引きだそうとすると、大量のプログラムが必要になるという点でだ。 例えばゲーム機がいい例だろう。 4年ほど前に、あるメーカーが他社に先駆けて出した高性能のゲーム機が失敗作に終わったのも、 あまりに高い能力を引き出すだけのソフトをつくる環境がソフト会社になかったのが原因だ。 5倍の労力がかかるソフトの値段がいままでと変わらなければ採算がとれないからね。 今のゲーム機はその頃に比べてさらに5倍ほど性能がよくなってはいるが、 ソフト会社はちゃんとソフトを出してくる。 このまえ息子ので少し遊んだが、あれは凄い。 ほとんど映画同然の三次元画像があれほどスムーズに動かせるなんて、 我々の世代にはちょっと信じがたいね。 どうして、そんなソフトが次々出てくると思うかね。」

「ソフト制作の過程がほとんど自動化されてるからですよね。」

「そう。そのとおり。昔からソフト技術者はコンピュータに使われてきた。 融通のきかないわがまま坊主の面倒を見る母親よろしく時には倒れそうになってコンピュータのお守りをしてきたんだ。 コンピュータがバカだった頃はそれでもよかったが、 だんだん能力が上がってくると、もはや人力ではどうしようもなくなってしまった。 だから、CASEと言う考え方が出てきた。 コンピュータ支援によるソフトウエア設計開発だな。」

本田がひとつ咳払いをした。

「すまんすまん、この話をしだすとつい盛り上がってしまう。」

「相変わらずだな。」

本田が笑う。

「つまり、このシミュレータにもそういった自動化機能が組み込まれているんだ。 シミュレートしたいネットワークに特殊な測定器を入れて、 数日間の通信の記録をシミュレータに読ませると、 自動的に最適なシミュレーションプログラムを自分で作り出すように出来ているんだ。 」

「それじゃ、これから我々がしようとするテストは、どうやったらいいんです。」

「ご心配なく。本田から話は聞いてたから、 ちょっとNOCからここ一週間の通信ログを借りてきて、 昨日のうちに読ませておいたよ。 もう解析が終わって、シミュレーションの準備は出来ている。 ここのLANもそっちのLANと同じ構成にしておいたから、 すぐ使えるよ。」

「さすがに手回しがいいな、感謝するよ。」

本田が言うと二谷は笑って応えた。

「本田先生のたっての頼みだしね。それにうちとしても今回の事件には興味がある。 こういう事態にこのシステムが役に立つことが立証できれば、 また高く売れるってもんさ。」

「では早速、使い方を説明しよう。」

二谷はシミュレーターのコンソールを前に使い方の説明を始めた。 健が危惧したほど、使い方は複雑ではなく、 むしろエレガントなほどに洗練された操作手順に驚くほどであった。

「それじゃ、後は任せた。好きなようにやってくれ。ただし、壊すなよ。」

二谷は子供っぽく笑うと部屋を出ていった。

「さて、準備を始めよう。そろそろ坂井君も来る頃だろう。」

「わかりました。それじゃ、問題のプログラムをこのコンピュータに入れてみます。 とりあえず、最初に感染した時の状態を推定して、 その状態に戻してありますから、シミュレータで挙動を調べれば動きがわかるはずです。」

健は持ってきたディスクをコンピュータの一台にセットすると、 ソフトウエアを読み込ませ始めた。


 「おはようございます。」

息をきらせて紀子が部屋に入ってきた。

「おはよう。ちょうど今準備が出来たところだ。」

紀子は、興味深げにあたりを見回してから健の横に椅子を動かすと座ってディスプレイをのぞき込んだ。

「このコンソールで、この部屋の中のコンピュータがどんな挙動をするかを全部監視できるんだ。 おまけに、あたかも全社のネットワークやインターネットに繋がっているのとまったく同じ環境も作り出せる。」

「これ、超並列機でしょう。確かM電機で作ってたやつ。 このまえ工場見学に行った時に見ましたよ。 256×256の並列アレイプロセッサで未発表だけど世界最速だって自慢してましたよ。 おまけに電力消費が少なくて、冷却器もいらないんだって。」

「よく知ってるな。そんな俺も知らんようなこと。」

「あはは、一応、専門ですから。」

「え、俺はてっきりカラオケが専攻だと思ったてたけどな。」

「あ、あれは第二専攻で・・・」

紀子は無邪気に笑った。

「さて、始めるぞ。例のプログラムを起動しよう。」

健は先ほどプログラムを入れたコンピュータの所へ行くとキーを叩いた。

プログラムを入れたコンピュータには何の変化もない。 それもそのはず、変化が出ればプログラムが動作していることに気づかれてしまうからだ。 しかし、シミュレータのコンソールはにわかに騒がしくなっていた。

「健さん、これ、通信が始まったみたい。」

コンソールをのぞき込んでいた紀子が叫んだ。

「ふむ、ブロードキャストでまずは小手調べか。」

問題のプログラムは、まず、 そのネットワークにどんなコンピュータが繋がっているのかを調べるために、 宛先無しのデータを送信して応答してくるコンピュータを調べ始めたようである。

「よし、それじゃ餌をまいてやろう。」

健は、近くにあるコンピュータ何台かの電源を順次入れていった。

「何か変化は。」

「今のところ何もありません。応答は返ってるから餌は認識してるはずなんだけど。」

問題のプログラムは、周囲のいくつかのコンピュータの存在を認識した後、 沈黙をきめ込んでいる。

「しばらく様子を見てみようか。」

健はまたコンソールの前に座り込んだ。しかし、 数分が過ぎても何も始まる様子はない。

「こりゃ、長期戦になるかな。 とりあえず何が起きても記録されるようになっているから、 しばらく放っておこう。」

「ラッキー、実は朝ご飯まだなの。さっきからお腹が空いて・・・」

「ったく、朝飯くらい食ってこいよ。と言いたいとこだが、 実は俺も朝飯食ってないんだ。ちょっと行って来ていいですか。」

健は本田を見て言った。

「ああ、いいよ。私は部屋に戻ってるから何かあったら呼んでくれ。」

「わかりました。じゃ、行こうか。」

「やった、ご馳走様でーす。」

「バカヤロー、自前だぞ自前っ。」

「えー、サイテー。こうやって朝早くから出て来てるのに。」

「わかったよ。モーニングだけだぞ。」

「やった。健さん大好き。」

「大嫌いだよ、お前なんか。」

二人は騒々しく部屋を出て行き、その後に 本田が続いた。


11.売られた喧嘩

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