迷いの森の亡霊

8.針の筵


 その前の悪夢のせいか、なかなか寝付くことができず、 健にとっては、今朝もまた寝覚めの悪い朝だった。

そのうえ、出社するなり本田に呼ばれた健は、予想以上に自分の立場が危ういことを思い知らされた。

「実はな、昨日の会議で決まったんだが、 今回の事件の関係者全員から個別に事情を聞いて調査を行うことになった。 お前と田口君はトップバッターになりそうだな。 たぶん今日中には常務から呼び出しがあると思うから、 問題点を整理して話せるようにしておいてくれ。」

「わかりました。昨日までの調査結果をまとめておきましょう。」

席に戻ろうとする健の後ろから本田の声が追ってきた。

「それから当分の間、この問題の調査からは、はずれてもらうことになる。」

「どういうことですか。」

「外部を疑う前に、まず内部の問題がないことを証明しろってのが常務の意見だ。 俺はお前たちを信じてはいるが、調査は第三者に委ねたほうがいいということだ。」

「しかし、・・・・」

食い下がろうとする健に、本田は掌を向けて言った。

「今は、へたに動かないほうがいい。」

「私も容疑者・・ってことですか。」

「容疑者とまでは言わないが、今回の事件の核心にいることは確かだ。 調査に予断が入る可能性があると言われれば否定はできん。」

「それじゃ、いったい・・・」

「とりあえず、これまでの問題を整理して質問に答えられるようにしておいてくれ。」

健はあからさまに不満な顔をして、無言で席に戻った。 うすうす恐れていた事態がこうも足早にやって来ようとは思いもしなかった。 客観的に考えれば、社内の情報が漏れだしたような場合、 最初に担当者から調べるのは当然のことだ。 しかし、だからと言って、あからさまに自分に疑いの目が向けられることも、 気分の悪いものである。 こうなる前に、なにかしらの情報を掴んでおきたかったのだが、 今となっては本田の言うとおり、ヘタに動かないほうがいい。 証拠の隠滅工作と映っても、かえって立場が悪くなるだけだ。

健は机に向かうと、昨日までの調査結果をレポートにまとめはじめた。


「君の意見は聞いておらん。質問にだけ答えたまえ。」

管理本部長の佐伯が怒鳴った。

「そんな調査は、我々が別途に行っている。 君は、我々の疑問に、しっかりと答えたまえ。」

この部屋へ入ってから、どれだけの時間が過ぎたか、もう健はわからなくなっていた。 椅子に座らされてからこのかた、浴びせられるのは、こんな辛辣な言葉ばかり。 自分が調べたことを客観的に述べようとするのがそんなに気に入らないのなら、 さっさとクビにでもなんでもするがいい。健は、もう疲れ切って反論する元気もない。

先刻から健を責めたてている佐伯は、 会社のメインバンクから出向してきた役員である。 技術畑出身者が殆どの会社においては異色の存在ではあるが、 他の幹部が苦手とするところの、 いわゆる汚れ役を一手に引き受けて社内の管理システムを確立させた強者である。

「君は、先刻、田口君が君のコンピュータをアクセスしていた痕跡があると言ったが、 それはどういうことかね。」

常務の正木が尋ねた。

「はい、私の・・・、 いえ、私が開発中のマシンは最新型のソフトを使用していますので、 外部からのアクセスは画面上にただちに図形として表示されます。 私が作業をしていた際に、たしかに「田口」という名前が表示されていました。」

「ふむ、だが、田口君は当日出張で大阪に行ってたそうだし、 外部からアクセスしたような形跡も残っていない。 技術的に見て、このようなことは可能なのかね。」

「たしかに、田口さんのマシンは24時間運転なので、田口さんがいなくても、 そのようなアクセスをするプログラムを仕掛けることは出来ます。 ただ、これは誰しもまず疑うことですし、彼がそのような・・・」

「だから、意見はいい。何度言わせるんだ。」

と、また佐伯が横槍を入れた。

「まあまあ・・・」  と、正木。

「もちろん、 そのような事が子供だましのトリックであるということは我々にも理解はできる。 ただ、これは君にとっても重要なことだ。 どんな方法にしろ、それを実行する方法を立証できないことには、 君が嘘をついていると考えざるを得んのだよ。」

健は言葉を返せなかった。 自分の潔白を証明することと田口が犯人であることを証明することが同義だなんて、 これは究極の選択じゃないか。 こいつらは、初めから我々二人しか疑っていないんだ。 いや、田口さんには出張というアリバイがある。 とすれば、ターゲットは俺か。なんてことだ。どうすればいい。 健は心の中で葛藤していた。

「今日はこれくらいにしておきましょう。すでに3時間ほどになりますから。」

佐伯が言った。このまま終わるなんて、これじゃ、俺が容疑者第一号確定じゃないか。 と健は思ったが、言葉を返す気力は残ってはいなかった。 とりあえず、拷問は終わりだ。

「今後の方針については、我々が協議の上後日、本田君に伝えておきます。 彼の指示に従って下さい。」

先ほどまでの口調とはうってかわった佐伯の言葉に、健は背筋の寒さを覚えた。 追って沙汰あるまで謹慎いたせ、 なんてのは黄門様が悪代官に引導を渡す時のセリフじゃないか。 それとどこが違うってんだ。俺は何も悪いことなんかしてないぞ。

役員応接室を出て、自分たちの部屋までの間、健の頭の中では、 先ほどの役員たちの言葉が、まるで閻魔様の言葉のように繰り返し響いていた。

部屋に戻って自分の椅子に座った健は、大きな溜息をついた。

「だいぶ、苛められたようだな。」 本田から声がかかった。

「ええ、もう、さんざんですよ。いっそ、クビにでもしてくれれば気楽なのに。」

「まぁ、そう言うな。奴さんたちだって、お前が憎くてやってるんじゃない。 客観性ってのは、時には冷酷なもんさ。 でも、それも必要だよ。とかく日本人は、こんな時に情に流され易い。 たまには、こうやって問題をとことん洗い出すことも必要さ。 潔白なら何も恐れることはないじゃないか。 仮に、潔白が証明できなくても、有罪の証拠にはならんからな。気楽に行けよ。」

「一度、かわりに出てみて下さいよ。その後で、そんな言葉が吐けたら、 私もそうします。」

本田は笑って健の肩をポンと叩くと席に戻っていった。 気楽なもんだぜ、と健は思った。 しかし、健が犯人とされれば、本田とて上司としてお咎め無しとはいくまい。 そういう意味では、彼もまた健の苦境を共有していることには違いなかった。

チャイムが鳴った。もう5時半になるのか。 こんな気分じゃ仕事にもならんし、今日は帰るか。 と健が腰を上げようとした時だった。

「こんばんわっ。お待たせしましたっ。」

ドアが開いて、紀子が入ってきた。


9.ギリシャ人の贈り物

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