迷いの森の亡霊

7.八方塞がり


 その朝の目覚めの憂鬱さは筆舌に尽くせぬものがあった。 強盗に追いかけられて逃げようとしたら足が動かない。 よくある夢ではあるが、このような気の滅入る時期には見たくない夢である。 昨夜、玲子を脅かした報いではあるのだが、なにもこのような時に見なくてもいいものだと健は思った。

こんな日に限って追い討ちをかけるような出来事が起きるものである。 会社で彼を待っていたのは、 今回の問題について調査委員会ができるという知らせだった。 昨日の本田からの報告が取締役会で問題となり、 急遽、各部署からスタッフを出して調査を開始するということが決まったらしい。 健もネットワークの設計担当としてその中に加わることになる。

急がなければ。そう思う気持ちがプレッシャーとなって、 ただでさえ滅入った気分をさらに重いものにした。 コンソールに表示される記録には、何度見ても侵入の形跡らしいものは見いだせない。 焦りからか、時々、思考が停止して、頭の中が真っ白になる。 いっそ投げ出してしまいたいと思う頭に時々ゲンコツを喰わせながら、 健はもう一度通信記録を調べ上げていった。

健のコンピュータへの外部からのアクセスはない。 社内からのアクセスは田口からのもののみである。これは健も確認済み。 あとは健のコンピュータから社内のサーバーとインターネットへのアクセスが数度。 田口も同様にサーバーとインターネットに何度かアクセスしている。 サーバーへのアクセスは社内のコンピュータならば不思議はない。 インターネットについても、今時の技術者、いや、 営業マンであっても一日何回かはアクセスして情報を取り出すのが普通である。 通信相手も記録に残るが、いずれも問題にならない相手である。 こうなると、何者かが通信回線を経由して社内に侵入し、 健のコンピュータに不正なアクセスを行ったということは立証できない。 即ち、健自身もしくは田口がなんらかの形で関与していると第三者に判断されてもいたしかたあるまい。 この際、田口と話をしてみた方がいいかもしれない、と健は思った。

田口は同じ部内の別のプロジェクトのリーダーで、 健が普段仕事をしている隣の部屋にいた。 意を決した健が部屋に入ると、いきなり飛んできたのは、他ならぬ田口の声だった。

「おっ、珍しいじゃないか。どうした。」

「あ、いえ、どんな具合かなと」

「ほぉ、余裕だなぁ。そっちの仕事は順調と見える。」

皮肉をいいながらも田口は無邪気に笑っている。 健は、どう話を切り出したらいいものかと内心困り果てていた。

「そりゃそうと、お前さんのマシン、アクセスできないじゃないか。 何回やっても拒否されちまうんだ。」

「あれ、もうアクセスしてたんじゃ。」

「おいおい、まだ一度も覗いてないよ。昨日だって、 何度か試したけどぜんぜん受け付けられなかったぞ。」

「だって、一昨日アクセスしてたでしょ。ログに残ってましたよ。」

「何を言ってるんだ、俺は一昨日は大阪へ出張してたんだぞ。」

「え、本当ですか。」

「本当も嘘も、大阪の石頭のお客に怒鳴られに行って来たんだぜ。 このまえ納めたシステムにバグがでて。まったく貧乏くじったらありゃしない。 連休だってのに。」

健は言葉が続かなかった。それじゃいったいあのアクセスは誰が。 健はますます頭が混乱してしまった。

「でも、本当にアクセスされてたんですよ。田口さんのマシンから。」

「そんなはずはない。このマシンは俺しか使わないし、 他の奴等はパスワードすら知らないんだからな。 それともなにか、幽霊でも出たっていうのか。」

幽霊、まさにその通りだと健は思った。 もちろん、自分の不在中に動くようなプログラムを仕掛けておくことはできる。 しかし、田口のようなベテラン技術者がそんな幼稚なアリバイ工作をするとは思えなかった。 この際、幽霊退治に田口にも協力してもらったほうがいいかもしれないと健は思った。 しかし、客観的に見れば、最有力の容疑者に状況を知らしめることになるわけだから、 万一の場合、健も責任追及の矢面に立つことは確実であろう。 しかし、この状況下で客観的に見れば第二の容疑者は健自身である。 まして、田口には出張というアリバイがある。 田口は少なくともこれまで、健にとっては信頼のおける人物の一人であったし、 これまでも、様々な局面で貴重なアドバイスをもらっている大先輩でもある。 健がすべてを田口に話す気になるのに、それほど時間はかからなかった。

「なるほどなぁ、それで俺が容疑者ってわけか。」

腕組みをしながら、田口は健を見上げた。

「しかし、それじゃお前さんも容疑者の一人じゃないか。 盗人同志手を組もうってことかい。」

田口は苦笑した。言葉を返せないでいる健を横目に、 田口は自分のコンピュータに向かうとキーを叩きはじめた。

「ふむ、やっぱりな。」

田口がつぶやいた。

「一昨日、誰かが使ったり、どこかと通信した記録は、ひとつも残っていないな。 何か変なプロセスが走った記録もない。」

田口は、一発、バシッとキーを叩くと健のほうへ向きなおった。

「ま、幽霊なら当然だがね。とりあえず、八方塞がりってとこか。」

健は溜息をついた。この幽霊は一筋縄ではいかないとは思っていたが、 長丁場になりそうだ。しかも、尻に火がつきはじめている。

「でも、お前さんのマシンには記録が残っていたわけだ。 基幹ルーターにもな。意外と慎重な幽霊も、 記録の矛盾って尻尾を出してるんじゃないか。」

「私のマシンは、例のゴキブリが消える前に電源を切ったんで、 足跡を消し損ねたんじゃないですか。 残っていたプログラムは例の紀子嬢が学校へ持って行って解析中なんで、 うまくいけば、正体がわかるかもしれませんね。 まぁ、アテにしないほうがいいかもしれませんが。」

「逆コンパイルか。暇な学生にしかできん芸当だな。 でも、やってくれるだけ有り難いか。」

「そうですね。納会までに間にあってくれれば、 少しは気楽な正月が迎えられるんですけどね。」

健も田口も、実際はもう、正月などとうにあきらめていたのだが、 せめて幽霊の正体だけは見極めておきたいと思っていた。 機密が漏れて、自分たちが疑われそうな状況もさておき、 いったいどんな手を使って情報を盗んだのかという点に純粋に技術的な興味を覚えていたのである。

田口と話をして少し気分が落ちついた健はまたネットワークのセキュリティーコンソールに戻ると記録を読み続けた。 そこへやってきたのは、社内のネットワークの管理を受け持っている情報システム部の若林だった。

「吉田さん、ずっとログなんか調べて、どうしたんです。何か不具合でもありますか。」

「あ、いやね、俺のマシンに侵入した奴がいるみたいなんで尻尾を掴んでやろうと思ってね。」

「ハッカー・・・ですか。」

「この手合いをハッカーなんて呼ぶのは好きじゃないな。 今じゃハッカーっていうと悪者ってイメージだけど、 もともとは、コンピュータの中を知り尽くした天才的技術者に与えられる敬称だったんだ。 ハッカーと呼ばれるのは大変な名誉だったらしいよ。」

「そうなんですか。じゃ、なんて呼んだらいいんですか。」

「そうだな、あっちじゃクラッカーって呼び方するみたいだよ。」

「クラッカーですか、なんか変ですね。」

「ま、こっちじゃハッカーと呼んだほうが一般的ではあるけどね。 しょうがないよな。」

「で、何か残ってそうですか。」

「いや、今の所何も残っていない。 少なくとも、うちの部外からのアクセスがあった形跡は皆無だね。」

「じゃ、犯人は部内にいるんじゃないですか。」

「そう単純にはいかないのさ。」

そう、単純にそんな結論を出されてしまったら困るのだ。 そうならないために、頑張ってるのに・・・、健はちょっと苛立った声で答えた。

「そうそう、こっちもちょっと問題を抱えてるんですよ。 社内のセグメントの一つが、どうも切れかかってるみたいで、 時折、エラーが増えるんですよ。 サーバーの通信記録でわかったんですが。」

「切れかかってるって、どうしてわかるんだ。」

「エラーのほとんどが再送要求なんですよ。 データを送ったけど相手が応答を返さないんで、また送ったって奴です。」

「そんな記録が取れるのか。」

「いえね、お手製のプログラムなんですが、以前、 断線騒ぎがあって困ったんで、再送回数もチェックできるようにしたんです。」

「どこのセグメントがおかしいんだ。」

「えーっと、3階のB−2とB−3ですね。」

「え、うちじゃないか。」

「あ、そういえばそうですね。最近何か変じゃないですか。反応が鈍いとか。」

「いや、特に感じなかったけどな。」

「ま、2、3回の再送ですからわからないかもしれませんね。 ルーターから部屋に接続するハブの部分のコネクタの不良かもしれません。 近いうちに調べます。完全に切れないうちにね。」

「そうたのむよ。今、ネットワークまでトラブったらお手上げだ。」

まったく、どうしてこうトラブルは一度に起きるんだろう、と健は思った。 時々、神様が意地悪をしているとしか思えないことがある。 何もない時は退屈なくらい何もないくせに、 何か起きると畳み掛けるように次々と問題が起きるからいやになる。

「さて、あまり邪魔しても悪いから、これくらいにしておくよ。 エラーのチェックがあるんだろ。」

「あ、すいません。追い出すつもりじゃなかったんですが。」

「いや、コンソールをずっと占領して申し分けないね。今日はこれで退散するよ。」

どのみち、これ以上調べても何も出ては来ないに違いない。 もう一度帰って問題を整理してみたほうがいいな、と健は思った。 時計を見ると、既に5時半、窓の外は暗くなっていた。


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