迷いの森の亡霊

6.鉄壁の内側


 「いったい、どうやって・・・」

コンソールの大きなディスプレイの前で、健はうなった。X社から帰ってから、すでに6時間の間、彼はこのディスプレイと格闘していたのである。

健の会社の一角にあるこの部屋は、一般の社員の立入が禁止され、一部の許可された者以外は中を見ることもできない。 ここには、会社の重要なデータを保管しているサーバーと呼ばれるいくつかのコンピュータと、それらのデータの安全を監視するセキュリティーコンソールが置かれている。 社内ネットワークとインターネットを接続するためのゲートウエイと呼ばれるコンピュータもこの部屋にある。

健は帰社してからずっと、この部屋にあるセキュリティーコンソールを使ってネットワ ークのアクセス記録を調べていた。

社内のネットワークは部署ごとのセグメントという小さなネットワークを基幹の高速なネットワークで接続してあり、それぞれのセグメントはルーターという接続装置を介して基幹ネットワークに接続されている。 これらのルーターやゲートウエイでは常に通信状態が記録されているため、過去の記録から行われた通信をある程度推測できる。 健は彼の部署のルーターの記録を念入りに調べ、彼のコンピュータに対する不審なアクセスがなかったか確認する作業を行っていたのである。

6時間も目を皿のようにしてアクセス記録を調べても、それらしい不審なアクセスは一 つも記録されていなかった。 しかし、これは最初から予想されたことでもあった。 彼のコンピュータにあのプログラムを送り込んだ主はきっとそれくらいのことはお見通しのはずだ。 巧妙にアクセスを隠す工作をしているに違いなかった。 それが悪意を含んでいるほど、この種の侵入の痕跡は丁寧にぬぐい去られているのが普通である。 問題はどうやって、それを実行したかである。 健自身、イタズラ心で試してみたことはあったが、このルーターの記録を消すことは不可能だった。 それなのに、基幹からルーターを経由して彼のコンピュータをアクセスした記録は一つも残っていないのである。 さらに頭の痛いことには数日の間、インターネットから内部へのアクセスすらひとつもない。

 「もしかして部内の・・・、まさかな。」

外部からのアクセスがなければ、簡単な結論は一つである。 犯人は部内のコンピュータを使って問題の行為を行ったことになる。 これは犯人は部内にいるということと等しい。 しかしまた、健が知っているどの人間も、このような行為をリスクを背負って行う必然性を持っているようには思えなかった。 社内の他部署の人間ということも考えられたが、これとて健の部署のコンピュータを操作することはまず困難だろう。 健の部署のコンピュータからのアクセスも既に調べてあったが、これもただ一つ、田口のコンピュータからのものしか記録されていないのである。 この状況から見れば田口が犯人であるという結論になる。 健はこの結論を最初から除外していた。 自分のコンピュータへの田口のアクセスは先刻承知のことだったし、なによりも田口がそのような行為を行うなどとは思えなかったからである。 この点については本田も同意見だった。

しかし、状況はどう見ても田口に不利である。 健の部署で手に負えない場合、この問題は全社的に調査されることになるが、そうなれば最初に疑いの目で見られるのは間違いなく田口だろう。 その前になんとか自分の手で謎解きがしたいと健は思っていた。 だが、調べれば調べるほど、ますます田口の外堀は埋まっていくように思えるのである。

この社内ネットワークの設計には健も係わっている。 それだけに、この状況は健にとって不愉快きわまりないものだった。 いっそ、田口が犯人であるほうがすべてが丸く収まるではないか。 そう思う心をいつまで抑えていられるか、健にも自信はなかった。

軽い頭痛を覚えた健は手を休めると、椅子にもたれかかった。 目の焦点が合わない感覚と軽い目眩が襲ってきた。 6時間もディスプレイを眺めていたことによる眼精疲労なのだろう。 健は目を閉じた。頭の中がぐるぐる廻る感じがして少し吐き気がした。 健はコンソールの画面を閉じると立ち上がり部屋から出ていった。


その夜、家へ帰ってからも健の頭の中は事件のことでいっぱいだった。 田口犯人説を除外するならば、何者かが悪意を持って部外または社外から健のコンピュータをアクセスしたはずである。 しかし、部外との接点であるルーターと外部とのゲートウエイの記録はいずれもそれを否定するものだ。 何者かが記録を消したのだろうか。 コンピュータであるゲートウエイの記録はハードディスク上に書き込まれているから、管理者権限を持つ人間もしくはそのパスワードを盗んだものならば、少しの知識があれば特定の記録を削除することは可能である。 しかし、ルーターのメモリー上に記憶されている記録は、すべて消去することは出来ても、一部の記録のみを消去することは出来ない仕組みである。 ちなみに、インターネットからアクセスしようとすれば、インターネットのゲートウエイを通った後に必ず基幹ネットワークからルーターを経由して通信せねばならず、ルーターの記録から逃れる方法はないはずである。

健は完全に行き詰まっていた。いったいどうすれば、このような手品が可能なのだろうか。それとも田口が犯人なのか。 そうは思いたくないが、反証はまた不可能に近いように思えた。

健はベッドに体を投げ出すと目を閉じた。また目眩と吐き気が襲ってきて、たまらず体を起こした時、電話が鳴った。

「もしもし・・・あ、うん、今帰ったとこだけど・・」

電話の主は玲子だった。

「遅かったのね。忘年会でもあったの。」

「いや、ちょっと仕事で問題があってね。調べてて遅くなったんだけど。」

「問題って?」

「うちのコンピュータに何者かが侵入したようなんだけど、記録がまったく残ってないんだ。」

「へぇ、そりゃ大変ね。侵入されたってのは確かなの。」

「ああ、俺のコンピュータに変なプログラムを残して行きやがった。まったく馬鹿にし た奴だよ。」

「でも、記録がないんじゃ調べようがないんじゃない。」

「うん、厄介な話だよ。あ、ところで年末年始はどうするの。」

「うん、たぶんこっちにいるわ。帰っても兄貴夫婦の子守りに使われるだけだし。」

「俺は、帰るつもりだったんだけど、これじゃどうなるかわからないな。もし、こっちにいるんだったら初詣にでも行くか。」

「そうね。いいな、それ。2年詣りね。」

「よし、じゃそうしよう。」

「そうそう、今日ね、部長から新しいプロジェクトの話があったの。」

「へぇ、どんなプロジェクト。」

「それがね、内緒なんですって、最終的に決定するまでは。まったく官僚的なんだから、うちの会社は。今日はとりあえず内示なんだって。」

「まぁ、A社ほどの大会社なら、そんなとこなんじゃないの。でも、面白い仕事だといいけどね。」

「新年早々に内容を教えてもらえるみたいだから楽しみよ。」

「羨ましいね。」

「あら、健だって時代の最先端の仕事だって、いつも言ってるじゃない。」

「まぁね。でも所詮は下請け。それもA社の子会社のね。」

「そうね、でもうちだって社内で下請けしてるようなもんだし、主導権の取れる仕事なんてほとんどないわよ。何のための研究職なのかしらね。」

「結局のところ、会社という仏様の掌から出られないんだな、俺達は。」

「でも、そのうち成仏させてもらえるわよ、お猿さんでも。」

「まっぴらだよ。」

少々会話が煮詰まってきたのを察して玲子は話題を変えた。

「そうそう、さっきニュースでやってた強盗の話、見た。」

「見てない。どんな。」

「あのね、なんでも閉店まぎわにロッカーに潜んで、夜中に守衛さんを脅して入り口を開けさせて、仲間を入れて宝石をゴッソリだって。恐いよねぇ。」

「へぇ。よく見つからなかったもんだね。調べなかったのかな。」

「従業員のロッカー室までは調べなかったみたいよ。」

「物騒な世の中だよなぁ。寝る前に押し入れの中、調べたほうがよくないか。」

「やだ、脅かさないでよ。気が小さいんだから。」

「あはは、ごめんごめん。」

宝石店の侵入よりも、うちのコンピュータへの侵入の方が問題だなと、健は思った。心持ち会話に間が開いたのに気がついた玲子が切り出した。

「あ、ごめんね、疲れてるのに。そろそろ切るわ。」

「いや、おかげでちょっと気分が晴れたよ。ありがとう。」

「どういたしまして。それじゃまたね。おやすみなさい。」

「うん、またね。おやすみ。」

健は電話を切ると、大きく一つ溜息をついた。実際のところ気分は晴れてはいなかったのである。 健は灯を消すと、ベッドに潜りこんだ。

なかなか、寝つけなかった健だったが、さすがに疲れていたようで、いつしか眠りに落ちていった。しかし、その夜彼が見た夢は押入から出てきた強盗に襲われる夢だった。


7.八方塞がり

INDEX ページへ

私のホームページへ


Copyright(C) 1995-96 M.Futagi All right reserved.

無断転載、引用、いかなる改編も禁じます。