迷いの森の亡霊

5.目眩い


 X社は、3年ほど前、米国の有力なパソコンメーカーと日本のソフトウエア会社が合弁で設立した、 コンピュータメーカーである。 主として、日本やアジア市場を念頭においた仕様のパソコンやワークステーションを開発、 製造している会社なのだが、そのユニークな製品は、この2年ほどの間に、 市場シェアを2割近く食うほどに売れている。

 ハードウエアの開発と、製造、コストダウンの面では、長年ぬるま湯に浸ってきた国産勢に比べて、 激しい競争にさらされてきた米国勢は、今でも優位を保っている。 しかし、欧米人にとってアジア、とりわけ日本や中国といった国々のカルチャーは、 理解しにくいのも事実である。彼らは宣教師よろしく自分たちのカルチャーを押しつけることしかせず、 それがもとで反発を招くことも少なくない。そこに目をつけたのが、ある日本の有力なソフト会社だった。

 この会社はソフト面での企画をすべて日本側で行うことを条件に、米国の有力なパソコンメーカーに合弁を申し入れた。 大学を中退して会社を創業し、35歳の若さで一躍、 日本のソフトウエア業界のトップ10に名をつらねるまでに成長させた社長の熱意に、 頑固な米国の経営陣も折れ、合弁が実現したのである。 以来、この会社では、米国側の有力製品をベースに、アジア向けの仕様を付加した製品を、 日本のブランド名で、独自のソフトウエアを付加したシステム製品として販売してきた。 これが受けて、わずか3年で、これまたベスト10に名をつらねる有力メーカーとなったのである。

 健の会社のトップが、この会社の社長の昔なじみであったこともあり、 創業時から、ソフト面での企画や、新しい技術の開発などの業務協力を行っていた。 X社の面白いところは、これらの核となる技術を、社外に依存しているところだ。 ハードウエアしかり、ソフト面でも、親会社を含む、いくつかの会社が、そのほとんどの業務を請け負っている。 これによって、新製品開発に必要な膨大な投資を、ある程度押さえ込み、 短期間で製品を市場に投入できるのである。また、社外の有望な技術を有利な条件で取り込んで、 他社に先がけて、新しいコンセプトの商品を開発できるのだ。 巨大に膨らんでしまった既存の国産メーカーが追従できないほどの小回りがきく秘密がここにある。

 そのX社が次の目玉として開発を急いでいるのが、健が今開発しているシステムなのだ。 このシステムは極秘裏に開発を進められていたが、例にもれず、マスコミの憶測を呼び、 様々な噂が巷にあふれていた。競合会社もこの製品の開発状況には神経をとがらせていて、 裏舞台での情報戦も加熱気味である。そういう状態だから、昨日の事件は健にとって最も頭の痛い問題なのである。

 ビルに入った健は、受付で案内を受け、エレベーターに乗ると、最上階にある会議室へ向かった。 ガラス張りのエレベーターの外の景色が、まるでズームレンズを引いたように小さくなり、 眼下に東京の街並みが広がった。遠くに白く光る富士山が見える。 健は軽い目眩を覚えて目を閉じた。やがて、ふわっと体が浮き上がる感じがしてエレベーターが止まった。 チャイムが鳴り、ドアが開くと、健は廊下を足早に横切り、並んでいる会議室のひとつのドアをノックした。

 「どうぞ」

 ドアの奥から男の声がした。健はドアを開けると中へ入った。

 「遅かったじゃないか。」

 本田の声が飛んできた。

 「すいません、信号故障で電車が止まりまして。」

 東京が一望できる大きな窓がある、明るい会議室である。 中央に大きな円卓があり、座りごこちの良さそうな椅子が並んでいた。 部屋にいるのは、本田と、X社のソフトウエア設計部長の榊の二人だけだった。

 「そりゃ、大変だったね。まぁ、座りなさい。」

 榊が言った。健が腰をおろすと、榊が切り出した。

 「今ね、本田さんにも話をしかけていたんだが、少々やっかいな問題が起こってね。」

 「問題というと。」

 「うちが作ってるシステムの情報が、どこからか漏れだしているらしんだ。」

 と、本田が口をはさんだ。

 「いや、そちらからという確証はないんだが、知り合いの雑誌記者から問い合わせがあってね、 その内容があまりに正確なんで、今その出所を内々に調査してるんだ。 なんでもインターネットの掲示板に書いてあったというんだが、 私が見た時点では既に削除されていて確認できなかったんだよ。」

 「ご存知のとおり・・・」

 榊は話を続けた。

 「今回のシステムは、今後10年間ほどのわが社の命運を左右する重要なものなんだが、 それだけに、社内でも情報管理には神経を使っているわけでね。 そこで、あなたがたにも協力をお願いしようと思って、今日来ていただいたわけなんだが。」

 「最近、何かおかしな状況はなかったかね。」

 健が何か言おうとする手前で本田が遮った。

 「特に、今の所ありませんが、そういう事ならば、改めて、うちの内部でも調査して見ましょう。」

 「うん、そうしてもらえるかな。」

 「わかりました、おそらく年明け早々には、結果をご報告できるでしょう。」

 本田が答えた。

 「ところで・・・」

 と、また榊が切り出した。

 「今、開発をお願いしているソフトの商品化と販売を、うちの親会社がやることになったんだが、 来年早々に、担当を紹介するから今後、なにかと情報交換をしてもらいたいんだ。」

 「親会社というと、A社ですか。」

 「そうだよ。当面は、社長直轄の研究開発室の管轄でやるらしいが、いずれは、現業部門が引き継ぐことになるそうだ。」

 「そういえば、吉田君は独身だったね。」

 「は、はい。」

 「今度のA社の担当は、相当の美人らしいから、楽しみだね。」

 「はぁ・・・、女性・・なんですか。」

 「そう、なんと言ったかな、名前は忘れたが、かなりのやり手らしいよ。」

 「そりゃ、危ないな。こいつは、昨日も朝帰りだったみたいだし。」

 本田が横からちゃかした。

 「なんだ、もういい人がいるのかね。」

 「はぁ、まぁ」

 健は言葉を濁した。別にどうだっていいじゃないか。仕事とは関係ないのに、と健は少し不機嫌そうな顔をした。

 「とりあえず、正月早々に、一度A社でミーティングを持とうと思ってる。 二人とも出ていただくことになるだろうから、よろしく頼むよ。」

 「わかりました。」

 「それじゃ今日はこれくらいにしよう。」

 部屋を出た二人は、榊に軽く会釈をするとエレベーターに乗り込んだ。

 「あの件は言わなくてよかったんですか。」

 エレベーターのドアが閉まるやいなや、健が尋ねた。

 「俺も迷ったんだが、まだ、内部とも外部とも言えない時点では言わないほうがいいだろう。 とりあえず、もう少し調べてからだな。」

 「しかし、もし、うちからだとしたら、困ったことになりますね。」

 「うちからだと思うか。」

 「思いたくはないですが。」

 榊にしても、少なからず、疑いを抱いている様子だった。 なんとかして、彼らより前に事件の真相を暴いておかないと困ったことになるに違いない。 エレベーターの落下する感覚に、またしても目眩を覚えながら、健は思った。


6.鉄壁の内側

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